民主共和国臨時政府執務室

Willkommen im Büro der Provisorischen Regierung der Demokratische Republik!

全人類のハッピーエンドを願う










また追いかけられる夢を見た。





【4492】世界がおかしいです。自分もおかしいです。怖いです。 | Dr林のこころと脳の相談室

落ち着いて2の冪を数え…にんじんを空に向けるんだ!そういう時にきっと人間はチャンスに巡り会えるものだ。監視カメラ破壊社会派のお友達と推理小説を読んだから今日もドラゴンが死ぬ。みんな死ぬ。明日地球が爆発するので世紀末なのでハッピー。さて、アンダーバーを引っ張ってきたのだが今日はとても嬉しいことがあった。まるで、夢の中の虹と観覧車が揺れ動く二次元の溶岩が溶解する原子炉を眺めている気持ちだった。そう、演劇が始まるのだ!明日天気になったらドアをぶん殴って全身を串刺しにしてやるのだ。そういう、演劇。でも雨だったからうさぎも飛べなくて全て水の泡。台無しだ。春みたいな色の魚が私を助けにきてくれると思っていたが、そんな馬鹿みたいな話があるわけがなく、現実は非情だった。人間は鏡のように反射し合い、みんな有象無象の波に呑まれて死んでいく。そんな中、忘れられた嘘がインジウムを連れて鈴を鳴らした。テレビがチカチカして血がドバドバ溢れてアフリカもアメリカになって狂い出す。はい、おしまいです。落ちてきましたら、私は病気じゃない。








アントナン・アルトーが如き文面である。すごく野蛮で美しい。確かな狂気の中に、詩としてのセンスを感じるのはぼくだけではないはずである。「原語」に戻せば韻も踏んでいることだろう。とてもぼくの脳からは生み出されない美しい言葉のサラダである。















ぼくは医学に関しては当然ながら全くの素人なのでなんとも言えないし言ったら何か恐ろしいものにぶっ殺されそうだが、上記の文章を書いてしまうような連中のことを近代文明とやらは「統合失調症」などと定義して精神病院に収容するらしい。この非常に美しい文章を記述できる15歳のホモ・サピエンスのメスを。




現代文明において、彼女は「落伍者」である。あえて誤解、分断を招く言葉を用いていえば落伍者である。精神「障害」と決めつけ(いや実際に生活にも差し障りが出ているので「障害」ではあるのだが)、治療と称し薬漬けにする。生産性を回復するために。







彼女の生み出した芸術は、生産性という言葉の前に治療される。それが文明である。
闇を切り拓くために火を生み出したように、わからないものをわかるために、文明を進歩させてきた。





とすれば、おそらく古代にもあった精神「障害」をわかるようにするために作ったものがではないか?







次の飯はいつ食べられるかもわからないような時代に、ムラの真ん中で

にんじんを空に向けるんだ!

などとクソデカい声で叫んでいる女がいたら、それはハチャメチャにこわいのである。


でも、そんな奴だからといってぶっ殺すわけにはいかん。きっとそいつはなにか恐ろしいものに操られたんだ。それのせいだ。こいつの言っていることはなにか恐ろしいものの意志の代弁なんだ。
そうやってできた「なにか恐ろしいものという観念」が稲妻なり天空なり大海なりに、あるいはいついたかもわからない(人間としての)英雄に結びついていったんだろう。そうやって人類は今日最高神ゼウスににんじんを捧げるようになったのである。



















ようは幸せになってほしいのだ。正確には、その「落伍者」が幸せになれると周りで見ているぼくらが思えるようにしたいのだ。


このブログでは何度も挑戦的なコメントを繰り返しており今更どう言われようと辞めるつもりもないが、ここではあえてナザレのイエスさんに登場してもらおう。「史的イエス」さんである。


彼は親父の跡を継ぎ、30過ぎまで大工として生きてきた。多分「旧約」聖書の内容は頭にばっちり叩き込まれてる。それなりに真面目な家庭だったのだろう。
ある日、遠縁のおっちゃんが川で儀式やってるというので行ってみたら「自分センスあってええな!」と言われ、その気になって荒野を40日間放浪してしまうのである。飲まず食わず。そしたら色々考えちゃうのである。この岩食えるんとちがうか。だが前読んだ本で昔のおっちゃんは

申命記8.3
『人はパンだけで生きるものではなく、』

とか言ってはったな。なんや、ぼくの考えにはちゃんと根拠があったんや!
そうして運よく生還してガンギマリになって活動を始めて3年くらいで死刑である。






クッソ哀れである。2000年経ってもこんなブログでコケにされるくらい哀れである。
だから、彼はきっと、いや間違いなく我が主「神」のお子さまだったのだ。ぼくらの罪を全て背負って亡くなり、復活することで永遠の命を得られるようにぼくらを救ってくれたのだ。彼が生きた人生には意味があるのだ。






そうとでも思わないとやっていけなかったフォロワーたちが福音書(字面からしハッピーエンドである)を書いた。


そうやってぼくは2000年後の深夜にブログを書けるわけだ。


















目的なく生きている人間はあまりに悲劇的である。土地のために、金のために人は死ぬ。殺し合わなくても災害で死ぬ。絶対死ぬ。死んだら終わり。
でも、胡蝶之夢を見ている間くらいはハッピーエンドを妄想したっていいんじゃないか。
最後には皆で手を繋いで、幕が降りるまで拍手喝采を受けようじゃないか。きっと最後には皆分かり合える。多分ね。






Pray for Turkey and Syria.







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