民主共和国臨時政府執務室

Willkommen im Büro der Provisorischen Regierung der Demokratische Republik!

(仮題、あるいは本題そのもの)













小ラーメンカタメの希死念慮マシ尊厳スクナメアブラカラメショウガにキムチのトッピング(¥100)というのが昔からのオーダーである。











①意志の弱さについて


iPad Proを買ってしまった。全く必要がないのに。自分でもびっくりするくらい決断に自己の意志が関与していないのである。このよっつ前の記事を更新するまで使っていたiPhoneの穴がガバガバになってしまい、iPhoneを買い替えるだけのつもりで外出したにも関わらず、気がつけば左手にiPadの入った紙袋をぶら下げている。あーらびっくり。嫁がいたなら殺されていてもおかしくない。




なにがおかしいかと言えば、昨年末の記事において

スマートフォンに齧り付いてなんかいないで、上を向いて歩こう。そして星を見上げて、発狂して、絶望して、全速力で逃げ出そう。この合理的な世界から。繋がりから。

E. I. ザミャーチン『われら』 - 民主共和国臨時政府執務室
などと偉そうに御託を並べていたのである。
正直に申し上げれば、この文章を記述する間ぼくはオーガズムに達していた。しかしこんな文章を書いて半年も待たないうちに、ぼくはただデカいだけのiPod touchを買っているのである。





人間に合理的判断を要求するのは無駄だ。





②素人の言う「どういうお笑い?」が面白くない理由


「どういうお笑い?」という言葉は他人のおかしな言動に「ツッコむ」時のものとして、この数年の間にミーム的な流行を超え広く社会的に通用する言葉になった。

だがこの言葉は、いわゆる素人が口にするにはあまりにも面白くない言葉である。
それは素人の発するこの言葉にはコンテクストがないからだ。







③抑圧に憧れて、または「なぜ人は共産主義が好きなのか」




ぼくの好きなアネクドートといえば。

「君の母はだれだ」

「わが偉大な祖国、ソビエト連邦です」

「君の父はだれだ」

「わが偉大な指導者、スターリン閣下です」

「君は何になりたい」

「・・・僕は孤児になりたい」







④ 「合理的な疑いが残る」








心の哲学




心の哲学」なるジャンルは「哲学」から独立させるべきだと思う。独立とは言わないまでも、ある種の自治領域であるべきだ。最早現代においては科学哲学にまとめてしまえばよい。学問の領域を無闇に分けるべきではないと仰せの先生方の気持ちはよくわかる。だがあくまで庶民的なお話だ。本屋とか。





クオリアの話なんかは割と好きではある。たとえばメアリーの部屋。白黒の部屋で育った「赤」を知らないメアリー。「赤」に関する情報は全て知っているが、さて部屋の外に出てしんぶん赤旗夕焼けを見た瞬間の感情は如何に。
だがこれに似た話はそこら中に転がっている。なんならぼくもある。ぼくは剣道二段。経験者ならわかるがつまり中学で辞めた。中学生は長さ三尺七寸の竹刀までしか使えない。成人は三尺九寸まで使える。男性用で6cm、70グラムもの差だ。ぼくは一応竹刀の分解組立までもしたことがある。だがぼくは三尺九寸の竹刀を試合で振る感覚を知らない。長さ、重さ、また間合いを知りようがない。剣道を再開するつもりもないからだ。













上記の文章群は、いずれも暇な大学生の時分であれば各々4,000文字くらいは平気で書けた記事の書き出しである。歳を重ね、蓄積した酒のせいか思考の言語化が著しく遅くなってきた。もうあの頃には戻れない。