民主共和国臨時政府執務室

Willkommen im Büro der Provisorischen Regierung der Demokratische Republik!

好きなものについて




ふとこの文章群を振り返ってみたとき、自分はこれまで嫌いなもののことしか記述してこなかったことに気がついた。下書きに入っていた文章もなんだか面白くない。なので今回くらいは好きなものを列挙しようと思う。







①南アジア料理

南アジア料理については言うまでもない。いわゆる「ナンおかわり自由」系の料理だ。特にSaagマトンが一番の好物。ナンよりもチャパティ、それもちゃんと膨らんでるやつが出てくるともうその日は一日中ご機嫌である。黙ってチャイを出せ。別にネパール人がやってても問題ない。ぼくはその辺りを見抜けるくらいにはなっている。モモは好物。ロキシーをかっ喰らってモモをハフハフしたらかなりの満足である。


②東南アジア料理

同列で東南アジア料理も好きだ。パクチーが嫌いな奴は死ねばいいと本気で思っているのだが、それにしてもスパイスの効いてる系の料理が好物だ。
ガキの時分に万博の屋台トムヤムクンの味を知ったのだが、おそらくあの時の味、あの時の湯気は死んでも忘れないだろう。ガキを万博に連れて行くと成人してリットル単位でナンプラーを家に常備するようになる。
カオマンガイは自分で作るくらいだが、フォーも好きだ。パクチーマシマシ唐辛子マシスッパカラカラで。バインミーもいい。ラクサもたまに食べたくなる。食べると何故かすごく落ち着く。海を超えてナシゴレンナシゴレン最近週一で食ってるし全然飽きない。






北アジア料理


モンゴル料理 ウランバートル
〒130-0026 東京都墨田区両国3-22-11 2F
4,000円(平均)1,200円(ランチ平均)
r.gnavi.co.jp
ここで羊を食え。






西アジア料理

フムスとケバブくらいしかマトモに食べたことはないのだが、あのスパイスの使い方は驚愕である。めちゃくちゃうまい。
ただ惜しむらくはその店舗の少なさか。そろそろちゃんとイランあたりから周辺を制圧していきたい。





⑤東アジア料理

なんだかんだでぼくらのホームである。安い街中華もお高い中国菜もすき。

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とりあえず横浜行ったら黙ってここで飯食って肉まん買って帰ればあとは問題ない。
でもたまには焼肉だって食べたい。かならず〆は冷麺と決めている。あとは寿司。結局寿司食っときゃなんとかなる。




⑥孤独
これについては特に述べることはない。自由ほど尊いものはない。独りでナシゴレンを食ってるのが一番のしあわせ。

服飾と官能、またはバタイユとの格闘(une bataille avec Bataille)












あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。


イザヤ書 40:28






本屋で聖書検定なるクソの役にも立たない検定の「公式テキスト」を見つけた。古典ヘブライ語と古典ギリシア語のテキストだ。確かに非常に興味深い。これも神の御導きか、興味深いので買ってしまいそうになるがその伸びかけた手を必死に引っ込める。お小遣いがない。教会スラヴ語もやりたいし。そんなこんなでその日は『現代思想』だけ買って帰った。





聖書のストーリーをつぶさに観察すると、「シンギュラリティ」を迎えたAIが創造主たる人間に対してどう振る舞うかが大体わかる。旧約・新約で神、あるいは「主」に対するイメージは180度変化しているしこのような新約の神を騙ったイエスは偽預言者だと超正統派の黒ひげ黒スーツのおじちゃんたちはここ数百年間ブチギレているということは有名だが、これも単に「管理人」が入れ替わっただけ、あるいはAIにも人格を認めるとか云々の法律ができただけと考えてもおかしくはない。自我を持ったAIがいても洪水と称してサーバーを水没させたらそれはそれでえらいことになる。




これまで人間が愚かにも自らの本質と思い込んできた「理性」は意外と簡単に人間の手で創造できるものだった。「理性」は全くもって人間を人間たらしめるもの、それも原罪を背負ってまで引き受ける価値のあるものではなかったといえる。人間とはただの葦である。このか弱い肉塊人間なのだ。


主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。


‭‭創世記‬ ‭2‬:‭7‬


そのか弱い肉塊、「賢き人間Homo Sapiens」などと自称する愚かな肉塊がリンゴを齧った程度で得られる知恵を絞って自己を周囲の「物自体」から隔離することは、人間にとって最も根源的な自己同一性を獲得するための「賢き」行動であると言える。アマゾンの奥地だの北センチネル島だのといった熱帯の未接触部族が裸族に見えることはあっても、完全に素っ裸ということはほとんどないはずだ。南極程近くに居住していたヤーガン族ですら、衣服を着る文明は無くとも首飾りをし動物性油脂を身体に纏った。寒くても服を着ずに生きていくことはできる。スペイン人に見つかるまでは。
つまり、人間は生物としてのホメオスタシスのために服を着るのではない。専ら社会的な識別子として服を着る。衣服でなくても何かしらのアクセサリー類やボディーペイントを身につける。これらの行為も広義の「服飾」に入る。「飾」って字も入ってるし。ともかく、これらの飾りでもって「物自体」から自らを隔離しなければ、圧倒的な暴力性をもつ「物自体」の中において人間は生きていけない。ただのたる人間は周りの「物自体」に同化しないでいるので精一杯だ。

とすれば、ある人の纏う布の量が多ければ多いほど、すなわち「物自体」とその人の距離が遠ければ遠いほどほどその人の人としての自我、すなわち生命力が強いということを暗示的に示していると仮定できる。身分が高い人、つまりはより社会的に生きている必要があるとみなされる人は着るのに人手が必要で着たら最後動けなくなるほどの布を身体に巻き付けることが往々にしてある。






ここで服飾と生命の関係を再考しよう。服はホメオスタシス、生命の維持に使うものではないと述べた。残っている機能は生命の生産つまりはセックスの触媒である。着飾っている、「物自体」から隔離されている生命力は「禁止されているもの」である。この禁止が大きければ大きいほど、これを奪い去るときすなわち服を脱がすときにめちゃくちゃ勃起するのである。

服を見て興奮する個体であることが遺伝子の保存に有利だったのだ。





ドンキで女子高生の制服のコスプレが売れるのは、現実の女子高生には手を出せないからである。女の喪服が一番エロいのは死んだ人間の前において最も生命を感じさせるから、つまりは禁止されているからである。












ここまで性差別的なクソヤバいことを書いているが、単にバタイユの焼き直しである。
誓って(誰に?聖なるものに?申し上げたいのは、ぼくはこの文章を他人から剽窃して書いているわけでは決してない。ただ知らぬ間に、ぼくの敬愛する人類史上最も偉大な変態オヤジことバタイユ先生のモノマネをしてしまっているだけなのだ。

バタイユ先生なら喪服の話で上下巻を書いてくれるに違いない。







筑摩書房 エロティシズム / ジョルジュ・バタイユ 著, 酒井 健 著







冒頭お小遣いがないと述べたのは、この本を含めて著作を16冊も買ったからである。解説書を含めるとそれだけで本棚の一区画が埋め立てられる。まだほとんど読み切っていない。文学研究科でもないただの一人間が趣味で集めたにしては立派なものだと思う。この本も一部だけ、それもこの文章を書き始めてから読み始めた。読み始めた段階でこの文章に書いたことが全部載ってたので打ち切った次第である。そもそも本を読む時間をつくるため一刻も早く資本主義制度を粉砕すべきなのだ。たぶん。


本屋に行っても最近購買意欲がようやく減退してきたことを自覚する。バタイユだけじゃない。サルトルシオランも本棚の影から恨めしそうな目線を送ってくる。でも腹は減る。部活終わりのJKが家系ラーメンを食っていた。まだ人類は大丈夫だと思った。






剣に貫かれて死んだ者は
飢えに貫かれた者より幸いだ
刺し貫かれて血を流す方が
畑の実りを失うよりも幸いだ


‭‭哀歌‬ ‭4‬:‭9‬

人類永劫の平和の為に


平和を実現するのは難しい。地球上に平和を実現するにはどうすれはよいのか。文明の一才合切を放棄するのがよい。



人類が最も簡単に和合団結するには、外に「攻めてくる敵」を作ることが人類の習性を鑑みるに最も容易である。人類の外の敵とは宇宙人である。宇宙人は地球人の発する電波を頼りに地球にやってくる。そこで、地球人は敢えて文明が滅んだフリをして宇宙人を誘い込んで殲滅するのである。


そのために、まず地球人は文明を放棄する必要があるのである。

汚染




ぼくはまさに今死にゆく肉塊、つまりこの瞬間も腐っている蛋白質に縛り付けられている。この肉塊の中にはウンコ、己の意思で摂取しておきながらそれを外に出す際には罵倒語として認知される概念が詰まっている。
そしてぼくは、そのウンコの素から分子を吸い取ったヘモグロビンが瞼の裏を横切るのをまざまざと見る。朽ち果てた飯の成れの果てがヘモグロビンに乗ってぼくの意識の目の前に表出する。


いや、これは間違いだ。むしろ「腐っていくこと」がぼくの意識であり、経口した物質にウンコ性を付与することがぼくの実存なのだ。ぼくの身体を切り刻めば、その切り口という切り口から赤いウンコが吹き出す。その血便で敵戦闘員を汚染してやるんだ。武装集団はぼくを処刑して切り刻んで晒すだろう。だがぼくはその瞬間勝利するのだ。神は死んだ!死ね!死は偉大なり!

泣きました ぼくは無神論者でアナキストで反出生主義です













①ふじさんろくにおうむなく






嘔吐 新訳 - 株式会社 人文書院





あれは確か中学時代のこと(たびたび中学時代の話を持ち出すのはそこ以外の人生に栄光がなかったからと言えるのだが)。

中学生の夏休みとは人生でもっとも暇で楽しい瞬間である。親という存在にとって最大の負担たる夏休み期間に少しでも親孝行をしようと企んだぼくは、ある日市民の血税でもって冷房をガンガンにかけてくれる図書館に引き篭もることにした。偶然にも、小学校の間数年だけ同じクラスだったやつも「tiredってなんて読むんだっけ?タイレッド?」など大声で喚きながら夏休みの宿題をしている。地獄の中学受験を潜り抜けたぼくはあんなバカ共とは格が違うんだ。そんなんで高校行けるのか。そう思いながらぼくは次の「倫理」なる科目のテストで実存主義の範囲だけ満点を取る」というバカな目標を立て日々勉学に勤しんだ、というか宿題の山と対峙した。


そんなこんなで宿題に手を付けつつ、集中が30分ともたないぼくはすぐに立ち上がって書棚をウロウロし始める。そして、授業で習った覚えのあるなんだかとんでもなく奇妙なタイトルの本を見つけ、手にとって5行読んで戻した(嘔吐だけに)




それから数年過ぎ、新訳と銘打ってあったので某市の丸善でこれを買い、20ページくらいまでは読めた。
歳を重ねれば忍耐力はつくものである。












②なぜファシストの書く文章は面白くないのか




ルーマニアの変容 | 法政大学出版局



上記の2冊はぼくの本棚の「割と邪魔な位置」を長期に渡って占め続けている。
特にこれは本当に面白くない。適当に入ったボロい居酒屋で店主に絡んでいる、夕方から呑んでいるジジイに絡まれた時くらい面白くない。


「なぜ面白くないのか」は理由を答えるための問いかけではない。単に呆れているだけだ。





そういえばナチ公も最初の集会はビアホールでやっている。その程度ってことだ。









③産むな、増えるな、地より失せよ



新共同訳 - 日本聖書協会ホームページ


これの前の版をブックオフで買った。聖書を古本屋に出したら棄教なのでは?
ともかく、その付箋までついた古聖書を買った。流石に読めてない。読めないついでに資本論の横に並べてある。