ええー、もう一席の御辛抱でございます。ありがとうございます。
この世には受験というものがございます。
今は学校を選ぶにも、いろんな数字がございますな。学費、制服の費用、これは女子校なんぞは高くつくものです。そして卒業後の寄付金。この最後のやつがべらぼうに高いのが慶應義塾なんでございますが。
色々な数字がある中のその代表が「偏差値」というやつで。これが便利なもんでございます。学校の名前を知らなくても、数字を見れば何となく分かったような気になる。
「こちらの学校はどうですか」
「偏差値六十八です」
「ほう」
何が「ほう」なんだか分からない。
校風も知らない。先生も知らない。何を勉強する学校かも知らない。
六十八と聞いた瞬間に、「ほう、なかなかですな」
数字というものは偉いものでございます。人間が説明すると疑われますが、数字で書くと急に信用される。「数字は嘘を吐かない」とは言ったものですが、これには続きがあって「嘘吐きは数字を使う」。
「この学校は大変いい学校です」
「本当ですか?」
「偏差値七十一です」
「間違いない」
何が間違いないんでしょうな。
しかも偏差値表というのを見ますと、実に細かい。七十、六十九、六十八、六十七。一つ一つ人間の値打ちを刻んでいるような表になっております。
「こっちが六十七で、こっちが六十六」
たった一つです。
「だいぶ違いますか」
「いや、まあ……表では違います」
表では隣り合っておりますが、見ているうちに段々と大きな高低差があるような気がしてくる。
六十七の学校は山の上。六十六は山の中腹。六十五になると急に麓に見えてくる。
数字は一つずつしか下がっていないのに、親の顔だけ険しくなっていく。
また、偏差値五十というのが面白い。あれは定義上ではまん真ん中でしょう。ところが、
「お宅のお子さん、偏差値は?」
「五十です」
と言うと、なぜか少し申し訳なさそうになる。
真ん中ですよ。「ちょうど真ん中です」と言えば堂々としていてよさそうなものですが、
「五十……です」
何か落とし物でもしたような顔をする。
逆に七十を超えると、本人より親の背筋が伸びる。
子供は普通に立っているんですが、親がこうなる。
「うちの子、七十二でして」
本人が取った七十二を、親が二十くらい持っていっている。
ああいうものは家族で分配するんですかな。お父さん十五、お母さん五、おじいちゃん三。本人、四十九。
これじゃ元へ戻っちまう。
それから偏差値表というのは、見始めるとだんだん目的が変わってまいります。
最初は、「この子は何を勉強したいんだろう」だった。それが、「この子に合う学校はどこだろう」になり、そのうち「この成績で入れる一番上はどこだろう」になる。
最後には、
「この表のどこまで上へ行けるだろう」
学校を選んでいたはずが、いつの間にか表の升目を登っている。
子供が、「僕はここへ行きたい」と言うと親が、「どうして?」
「やりたいことがあるから」
「でも、こっちのほうが偏差値が三つ上よ」
やりたいことが数字の三に負けた。この三つというのが何なのかは分からない。
子供が、
「こっちの学校のほうが楽しそうだよ」
「楽しさは偏差値にならないでしょう」
ならないものは無いことになっております。
校風、友達、通学時間、本人の向き不向き。そういう数字にならないものは、表の外へ追い出される。
表に載っているものだけで人生を決めようとする。
昔の人が見たら驚くでしょうな。
もっとも昔だって、人間というものは今と大して変わりません。
「あそこの家の子より上へ行かせたい」
「どうせ奉公に出すなら大店へ」
「隣の倅が日本橋なら、うちはもっと上へ」
偏差値という言葉こそございませんが、比べることと、親が熱くなることは昔からあったようでございます。
学問というものは、昔から大事なものでございまして、本来、字を覚えたり、物の道理を知ったり、自分で考えるためにするものでございます。
子曰く、
「学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや」
「少年老いやすく学成り難し」
「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」
まことに結構なことでございます。
ところが、これがひとたび競争というものになりますと、人間というものは妙なものでございまして、初めは「学ぶために学んでいた」はずが、いつの間にか、
「あそこの家の子より上へ」
「こっちの子より先へ」
「どうせなら一番へ」
となってまいります。
一番がいれば二番がいて、二番がいれば三番がいる。
「うちの子は三番で」
「あら、うちは二番ですの」
「そうですか。うちは一番で」
なんてなことになる。
子供は子供で遊びたい。親は親で、「遊んでいる暇があったら勉強しろ」と言う。
子供が飯を食っている。「噛んでいる暇があったら覚えろ」
寝ている。「よその子は夢の中でも勉強している」
そんな器用な子供がいるかどうかわかりませんな
えー、時は安政、ペリーが来るか来ないかの頃でございます。所は神田。今でいうところの淡路町あたりでございますが、この辺り、東へ行けば須田町、鍛冶町、多町。
この辺りは雑多なところでございます。商人、職人、青物市場なんぞがございまして、威勢のいい町人が朝から晩まで口を動かしている。
一方そこから西側へ寄りますと武家屋敷が並んでいる。
その中に若狭は小浜、酒井家のお屋敷がございました。
酒井といえばかの神君家康公の頃からお仕え申す家中きっての譜代。十万石はゆうに超える譜代の中の譜代でございます。
ただ国許は若狭湾でございますから、江戸までは遠い。国から勤番に出てまいります家臣は、「江戸へ出られる」と喜ぶ者もあれば、「また江戸か」とため息をつく者もいる。
その中に田辺半次郎という侍がおりました。
若狭小浜の生まれ。扶持米をいただく下級の藩士でございます。
若い頃から字だけは上手い。
学問もまるっきり駄目というわけではない。
藩校へ通って、四書の端くらいはかじっております。
ただ、何をやらせても半端。
剣術をやれば「構えは悪くない」だの、学問をやれば「字はきれいだ」、算術をやれば「帳面は見やすい」。
褒められているようで、どれも本体ではございませんな。
ある時、江戸勤番を申し付けられまして、神田のお屋敷へ出てまいります。
江戸という所は、国から来た者には驚くことばかりでございます。
人が多い。
店が多い。
品物が多い。
それから何より、口の達者な者が多い。
半次郎、非番の日に須田町の方へ出てみますと、青物市場で商人が声を張っております。
「へい、大根だよ大根! 白くて太くて、こいつを一本煮りゃ隣の婆さんまで匂いで飯が食えるよ!」
半次郎、立ち止まりまして「なるほど」
また魚屋の前を通りますと、
「鯛だ鯛だ! 今朝まで海で泳いでたような面ァしてる!」
見ると鯛が少々、くたびれている。
半次郎、「今朝まで泳いでいたような顔、か」、真面目な顔で帳面を出して書き留める。
それから古着屋へ行きますと、
「こちらの羽織は少々、虫が食っておりますが、そのぶん風通しがよろしい」と来たもんで半次郎、また「ほう」と言って書き留める。
その晩、藩邸の長屋で同僚が聞きます。
「半次郎、おぬし近頃、何を帳面につけておる」
「江戸の言葉だ」
「江戸の言葉?」
「うむ。小浜と違って、こちらの者は言い方ひとつで物の値打ちを変える」
「たとえば?」
「穴の開いた羽織を、風通しがよいと言う」
「それはただのごまかしではないか」
「いや、江戸ではごまかしにも芸があるらしい」
半次郎、すっかり感心してしまいまして、それからというもの、暇があると町へ出て、商人や職人の言い回しを書き留めます。
「できない」とは言わない。
「今日はその日じゃねえ」
「知らない」とは言わない。
「そいつぁ野暮なことを聞くねえ」
「安くしろ」とは言わない。
「こっちの懐にも陽を当てておくれ」
半次郎、「なるほど、なるほど」
ある日、藩邸の若侍が上役に叱られます。
「先日命じた書付はどうした」
「はっ、まだ出来ておりませぬ」
「何!」
そこへ半次郎、小声で、
「『出来なかった』では具合が悪い。『本日は仕上がる日にございませんでした』と言え」
若侍、「本日は、仕上がる日にございませんでした」
上役、
「……どういう意味だ」
「つまり、まだでございます」
「同じではないか!」
ところが別の日。
また同じ若侍が失敗しまして、「どうしてこうなった」と聞かれた。そこで半次郎の教えを思い出して、
「そこは別の考え方もございましょう」
上役、
「ほう。では、その別の考え方を申せ」
「……半次郎、何と言えばいい」
「俺に聞くな」
こんなことをやっております。
そのうち藩邸でも「田辺は妙な江戸言葉を知っている」と評判になります。
ところが、下級藩士というものは、暮らしが楽ではございません。
半次郎も、国許に老母がいる。江戸での付き合いもある。何か少しでも足しになれば、と常々考えております。
そんな折、須田町の裏店に「松月堂」という手習所がございました。
師匠は松月先生。五十を越した浪人者で、字は滅法うまい。ただし子供に人気がない。
何しろ教え方が、「書け」「違う」「もう一度」「違う」「また違う」、これだけ。
子供が泣きます。親も困ります。
ある冬、この松月先生が風邪をひいた。
知り合いを通じて半次郎に頼みが来ます。「三日ばかり、代わりに子供を見てくれやしないか」
半次郎、「某が町人の子を?」
「字さえ教えればいい」
「しかし、藩士が手習の師匠というのは」
「三日だ。誰にも言わん」
貧乏侍というものは、「誰にも言わん」と言われると大抵やるものでございます。半次郎、初めて手習所へ参ります。
子供が十五、六人。半次郎、武家の調子で、
「それでは本日は、天地玄黄、宇宙洪荒……」
子供が一人あくび。
二人あくび。
三人目は寝る。
半次郎、
「これ、寝るな」
「先生、つまんねえ」
「学問というものは、面白いとかつまらぬとかいうものではない」
「じゃ、なんでやるの」
「……それを尋ねるか」
先生が困っております。
そこへ八百屋の倅の八公が、「い」という字を書いております。
ひょろひょろして、まるで蚯蚓。
半次郎、
「何だ、その『い』は」
「『い』だよ」
「そんな『い』では鰯も売れんぞ」
子供、
「鰯は魚屋だよ」
「そうか」
半次郎、ここで何を思ったかもう一度、
「よいか。こっちの線は威勢よく引く。青物市場で『へい、大根だ!』と言うつもりで引け」と右手を振りかぶって降ろす。
八公、
「へい、大根だ!」
すっと引く。
「あ、うまく書けた」
子供が笑う。
別の子には、
「その『の』は古着屋の親父だ。ぐるっと回って、穴があいても『風通しがよい』と言え」
子供、
「風通しがよい!」
上手く書ける。
三日経つころには、子供らが半次郎の来るのを楽しみにしております。
松月先生戻ってまいりまして、
「どうだった」
親たちが、
「代わりの先生がいい」
「子供が嫌がらずに通う」
「字まで少し上手くなった」
松月先生、これは面白くない。
「田辺殿、何を教えた」
「字を」
「ほかには」
「江戸を少々」
「江戸?」
「口のきき方です」
「手習いってのは手の動かし方だ、口のきき方はいらん」
ところが親が言う。
「いや先生、口のきき方は大事ですよ」
これが始まりでございます。
半次郎、それから非番の日に、ときどき松月堂へ顔を出すようになります。
字を教える。読みを教える。そのついでに「人前で恥をかかぬ言い方」などを教える。
これが妙に評判になります。
八百屋の親父が倅を連れてきます。
「先生、うちの八公、今度、日本橋の乾物屋へ奉公の口があるんです」
「それは結構」
「先方で何か聞かれるでしょう」
「まあ、尋ねられるでしょうな」
「何と答えればいいです」
「何を聞かれるか分からぬのに答えは教えられん」
「そこを何とか」
「では、たとえば『算盤はできるか』と聞かれたら」
「はい」
「『できます』と言うな」
「え?」
「『まだ主人ほどではございません』と言え」
親父、「なるほど!」と膝を打つ。
八公、
「おいら、主人の顔も知らねえよ」
「顔を知らなくてもよい。謙虚に聞こえる」
「へえ」
奉公先へ行きまして、主人が尋ねます。
「算盤はできるか」
八公、
「まだ主人ほどではございません」
主人、
「ほう。謙虚だな」
親父、大喜び。
「先生のおかげだ!」
たちまち評判が広がります。
「あそこの田辺先生は、字だけじゃない」
「日本橋の大店へ入る口のきき方まで教える」
「この前の八百屋の倅も決まった」
ここで人間というものは、面白いものでございます。
一人決まる。
二人決まる。
三人決まる。
すると、壁に紙が貼られる。
「本年、大店奉公三名相叶う」
三人しかいないのに、大きく書く。
松月先生、
「田辺殿、これは少し大げさではないか」
「いや事実です」
「しかし三人だぞ」
「数は書いてあります」
「小さい字でな」
「江戸では、大事なところは大きく、都合の悪いところは小さく書くらしい」
とうとう手習所に新しい看板まで出ます。
「読み書き算盤 ならびに 奉公口上指南」
その下に小さく、「大店向け特別稽古あり」
松月先生、
「何だいこの特別稽古というのは」
「普通より少し長く教えます」
「謝儀は?」
「少し高く」
「何を教える」
「普通と同じことを、難しく言って教えます」
これが商売になります。
そこからは親が押しかけます。
「先生、うちの子も日本橋へ」
「うちは京橋へ」
「できれば呉服屋へ」
「いや、呉服屋より両替商の方が聞こえがいい」
「それなら外資系投資銀行の方が」
半次郎が申しますに、
「子供の向き不向きというものがあるでしょう」
八百屋の女房、
「向き不向きなんか後でいいんです」
「後で?」
「まず人が羨む所へ入れてから考えます」
「本人は何になりたいんです」
「大工だそうです」
「では大工へ」
「先生、そんな好きなことばかりさせていたら将来困りますよ」
半次郎、
「大工も立派な仕事では」
「立派かどうかじゃないんです。隣の乾物屋の子が日本橋へ行くんです」
もう話が違っております。
別の母親が五つの子を連れてきます。
「先生、この子、いつから御奉公口上の稽古を始めれば」
「五つならまだ早いでしょう」
「では七つ?」
「まだ遊んでも」
「先生!」
「はい」
「そんなことをして間に合わなかったら、責任取ってくださるんですか」
「何に間に合わぬのです」
「日本橋に」
日本橋という場所が時刻表のようになっております。
そのうち親同士も競争を始める。
「お宅のお子さん、どちらへ?」
「うちは魚河岸で」
「あら、お魚」
言い方がもう悪い。
「うちは日本橋ですの」
「まあ」
場所で子供の値打ちが決まっております。半次郎、困ります。
ある日、授業の途中で子供が尋ねます。
「先生」
「何だ」
「おいら、なんで字を習うんだ」
「字を習えば手紙が読める。帳面もつけられる。世の中のことも分かる」
「じゃ、なんで毎日、『奉公に出たらこう言え』ってやるの」
「それは……」
別の子が、
「先生、昨日『人の真似をするな』って言ったよ」
「言った」
「今日は『この通り言え』って言ったよ」
「……言った」
「どっちだよ」
先生がその実一番勉強させられております。
その夜。藩邸へ帰った半次郎のところへ、同じく江戸詰めをしている昔の藩校仲間が訪ねてきます。
「半次郎、おぬし学問を教えているそうだな」
「誰に聞いた」
「評判だぞ。神田に田辺ありと」
「それは困った」
「立派ではないか」
「いや、学問ではない」
「では何を教えている」
「受け答えだ」
「何のための」
「奉公に受かるための」
「それを学問というのか」
ってんでこう返されては黙るしかございません。
藩校では「学問は身を修め、道理を知るため」などと教わった。ところが今やっているのは、
「どう言えば主人に気に入られるか」
「どう答えれば落とされないか」
ばかり。
昔の友人が言います。
「おぬし、子供を賢くしているのか」
半次郎、
「……受かりやすくしている」
「同じか」
「近頃、違う気がしてきた」
少ししんみりしますが、落語ですから長くは続きません。
翌日になると親が三人待っております。
「先生!」
「今度は何です」
「特別稽古より上はないんですか」
「上?」
「もっと特別な」
「特別より上とは」
「…極上とか?」
半次郎、
「では『極上指南』」
「それで」
「謝儀は倍です」
「お願いします」
先生も先生でございます。
松月堂の壁に、
「普通手習」
「奉公口上指南」
「大店向け特別指南」
「日本橋極上指南」
と四つ並ぶ。
松月先生、
「田辺殿」
「はい」
「字を教える場所が、だんだん小さくなってきたな」
「時代です」
「江戸も終わりかもしれん」
安政年間に言うと妙に予言めいております。
そうこうするうち、日本橋の大きな呉服店から番頭がやってまいりまして、
「松月先生、こちらで評判の子がいるそうで」
松月先生、
「字なら私が」
番頭、
「あいや、口のきき方のほうで」
松月先生、
「田辺殿」
これが分業制というものでございます。
番頭が続けますに、「今度、小僧を一人入れたい。気が利いて、辛抱ができて、字の読める子がいい」
半次郎、
「それなら当方に」
目がぎらりと光る。何しろ大店でございます。ここへ一人入れば、「大店奉公四名相叶う」と書ける。
ひょっとすると、「日本橋一流店実績あり」ともっと大きく書ける。
半次郎、早速優秀な子を五人選びます。
親は大騒ぎ。
「先生、うちの子を」
「昨日から甘い物を断たせました」
「夜も寝かせてません」
「それは寝かせろ」
選ばれた五人には特別極上稽古。
「よいか。番頭殿が『なぜ奉公したい』と聞く」
一人目。
「はい、家が貧しいからです」
「正直すぎる」
二人目。
「親が行けと言ったからです」
「それも駄目だ」
三人目。
「ほかにすることがないから」
「お前はもっと駄目だ」
半次郎、模範の答えを教えます。
「『代々御商売御繁昌の御店と承り、ぜひとも御奉公仕りたく』」
子供、
「長い」
「覚えろ」
「意味は?」
「後でよい」
これがいけません。
次。
「『主人を親とも思い、骨身惜しまず』」
子供、
「うちの親、生きてるよ」
「そういう意味ではない」
「じゃ、どういう意味」
「今は覚えろ」
とうとう半次郎、自分で昔の自分に叱られそうなことを言っております。
日が巡りまして番頭が来ます。
一人ずつ座らせる。
「名前は」
「八五郎でございます」
「なぜ奉公したい」
「代々御商売御繁昌の御店と承り、ぜひとも御奉公仕りたく」
番頭、
「ほう」
次。
「なぜ奉公したい」
「代々御商売御繁昌の御店と承り、ぜひとも御奉公仕りたく」
三人目。
「代々御商売御繁昌の御店と承り」
番頭、半次郎を見る。
半次郎、目を逸らす。
四人目。
「主人を親とも思い、骨身惜しまず」
五人目。
「主人を親とも思い、骨身惜しまず」
番頭、
「先生」
「はい」
「みんな同じですね」
「基礎が行き届いております」
「そうですかね」
番頭、今度は別のことを聞きます。
「店で客から、知らないことを尋ねられたらどうする」
一人目、
「そこは別の考え方もございましょう」
番頭、
「何だそれは」
二人目、
「今日はその日ではございません」
「何の日だ」
三人目、
「野暮なことをお聞きになります」
「帰れ」
全部、半次郎の江戸言葉が裏目に出ました。
番頭、首を振ります。
「先生、悪いですが、この五人では」
親たちの顔が青くなる。
半次郎も青い。
「番頭殿、もう一人だけ」
「まだいるんですか」
視線をパッと向けると教室の隅で墨を磨っている子がいる。
熊吉という子で、出来が悪い。
字は曲がる。算盤は遅い。口上は覚えない。
親も、
「先生、何とかなりませんか」といつも言っている。
半次郎は熊吉を指して、
「いや、あれは違います」
熊吉、
「違うって何だよ」
番頭が笑って、
「お前、こっちへ来い」
「やだ」、反抗期の目でございます。
「なぜだ」
「墨、まだ途中だから」
番頭、
「お前、この店へ奉公したいか」
熊吉、
「分かんねえ」
親たち、
「馬鹿!」
「何言ってんだ!」
半次郎、
「熊吉、稽古した通りに」
熊吉、
「忘れた」
半次郎、
「全部か」
「うん」
番頭、
「店に入りたいか分からないのに、なぜ来た」
熊吉、
「先生が来いって」
「店のことは知らんのか」
「知らねえ」
「じゃ、知りたいか」
「うん。どんな店か見てから」
「何ができる」
「まだ、あんまり」
「何になりたい」
熊吉、少し考える。
「それをこれから考える」
番頭、黙る。
半次郎、嫌な予感。
番頭、
「先生」
「はい」
「この子をいただきましょう」
親たち「えーっ」とひっくり返るのも無理はございません。何しろ一番驚いた半次郎がその眠そうな目を珍しく開いて、
「熊吉を?」
「ええ」
「なぜです」
番頭、
「ほかの子に何を聞いても、先生が答えている」
「いや、本人が」
「口だけ本人で、中身は先生でしょう」
半次郎、ぐうの音も出ない。
番頭、
「この子だけ、自分で考えて、自分で答えた」
熊吉、
「何にも覚えてねえだけだよ」
番頭、
「それもよろしい。変なものを覚える前に来なさい」
親たちがざわざわ。
「そんな馬鹿な」
「うちは極上指南まで受けた」
「うちなんか夜も寝かせなかった」
半次郎、
「だから寝かせろと言った」
番頭、熊吉を連れて帰ります。すると残った親たちが半次郎を取り囲んで「先生!」
「はい」
「はいじゃありませんよ、話が違うじゃありませんか」
「何が」
「熊吉は一番出来が悪かったでしょう」
「まあ、そうです」
「口上も覚えてない」
「はい」
「字も下手」
「はい」
「算盤も遅い」
「はい」
「なのに、どうしてあいつが受かったんです」
半次郎、
「教えたことを、一番覚えなかったからだろう」
「じゃあ、先生!」
「何です」
「うちの子が今まで覚えたものは、何だったんです」
半次郎、困る。
松月先生が横から、
「田辺殿、答えてやれ」
「……手習いだ」
「手習いなら字だけでいいでしょう」
「では、口上指南」
「その口上で落ちたじゃないですか」
「……そうだな」
「じゃあ、あの高い謝儀は何だったんです」
半次郎、しばらく考えます。
「謝儀ではない」
「では何です」
「特別指南料だ」
「同じでしょう!」
半次郎、首を振りまして、
「いや、江戸ではごまかしにも芸がござる」
お気をつけてお帰りくださいませ、ありがとうございました。