民主共和国臨時政府執務室

Willkommen im Büro der Provisorischen Regierung der Demokratische Republik!

東京における四文字の駅名に関する所感




①原木中山


初っ端から千葉じゃねぇか。


東西線ユーザーにしか伝わらない話だが、東西線には「快速」ってのがある。東の方の(かつては海岸沿いでぐちょぐちょの土地で人口希薄だった)地帯はかっ飛ばしちまおう、というのがコンセプト。
快速電車は前をチンタラ進む普通電車を抜かさなきゃならねぇが、その抜かす場所というのが普段は葛西。たまに妙典というすごく日蓮みを感じる駅。
だが極稀に原木中山で通過待ちする電車がある。乗れるとちょっとラッキーな感じがする。

終点から一駅手前で、要領のいい奴に抜かされていく感覚。大体の人の人生はそんなもんだ。列に並んでいるのが退屈すぎて、少し目を離した隙に割り込まれる。ヤフオクで欲しいものに貼り付いて粘っていたら即決される。

「中山」や「船橋」といえば競馬場で有名である。
周辺には下総中山とか船橋法典とか、少し離れると二俣新町とかいうやつもある。京成はご丁寧に「京成西船」と、略称を用いてまで四文字に揃えてくれている。
船橋の周辺は四文字駅名の聖地かもしれない。四本脚だけに?





②赤羽岩淵


ただの赤羽ではなく、赤羽岩淵。ただの王子ではなく、王子神谷。ただの高島平ではなく、…



北の方では「自分をリッチに見せたい」のか「実存の危機に瀕している」のか、変な名前が多い気がする。
「赤羽」というだけでだいぶ場末、ここから埼玉だぞという雰囲気になるのに、それに加えて「岩淵」まで付けるときた。べつに「新赤羽」とか「東赤羽」でもいい。水門の代名詞以外の何ものでもない「岩淵」を名乗ってまで、何を得ようとしたのだろうか。やはり「特別感」なんだろう。
浮間舟渡を見よ。「浮間」も「舟渡」も、なんというか源氏物語の巻名になっていそうだ、とまで思ったけどこれ浮舟を分割しただけだ。「リッチ」にはなっていると思う。

その点、三田線は一番正直かもしれない。終点の方は完全なネタ切れ。周りには何にもない。













この上のスペースくらい何もない。まさに雲隠。




③麻布十番



南北線は四文字駅名界隈で最強の路線かもしれない。
北に向かえば浦和美園や川口元郷から赤羽岩淵、南には武蔵小杉にだって行ける。

裏を返せばそれだけアピールしないと覚えて貰えないくらい地味ということだ。
「自分は金持ちである」ということだけがアイデンティティとなっている白金高輪と、燕三条と同じ論理で複合駅名となった溜池山王に挟まれた麻布十番という駅は、何というかパッとしない印象だ。谷底みたいな地形にどんよりした空気が漂っている。六本木だの西麻布だのといった土地から負のエネルギーが流れ込んで滞留している。

地べたから「生活」の臭いがする。ボロいマンションだらけ。こんなのでも億を超えるんだろうなぁ、と思う。人の気配を感じる。








④小竹向原

よく知らない。ついでに高田馬場もよく知らない。





⑤門前仲町


小竹向原について何の言及もできないのは、こちらの方が記憶に近いからである。
深川の中心。周囲にはこの世の終わりみたいな汚ねぇドブと9号深川線の橋脚。


所謂「川の手」の住民は自己の限界を認識しながら住んでいる。
なにも見栄を張らないとかそういう事じゃない。自分の住む地の「限界」を知っている。何しろ川がある。河口があり、海がある。いや、今となっては直接海を見れるのはタワマンくらいなのだろうが、それでもここから先には工場か倉庫しかないという地区が絶対にある。東京港だから。
川の手の人間はここで街が終わるという感覚を絶対的に持っている。これが山手線から西(あるいは侮蔑的に「都下」)との違いだと思う。



いざ考えてみると、四文字駅名は所謂湾岸エリアには少ない気がする。築地市場をギリギリ含めるか否か。芝浦ふ頭は何となく含めたくない。ひらがなのせいかも。



それから、清澄白河を有り難がる昨今のトレンドはわからん。あんなボロくて何にもない所の何がよいのだ。あれは庭園のあるオシャレな街などではない。社会党委員長が住むべき、金のない労働者の街、労働者の拳が突き上がる街でなくてはならない。


四文字駅名が少ないのは、駅名如きに時間を使ってられないような人間が多いからなのかも。貧乏暇無し。都市の貧民は三文字目を言った瞬間にぶっ倒れる。実のところ、四文字駅名は呑気な金持ちが住む辺境にこそ多いのかもしれない。





⑥新日本橋


そんなことはない。
反例はいくらでもある。仲御徒町とか御茶ノ水とか。もっとある。あと5個は言える。



中でも新日本橋は好きだ。東京駅から一駅とは思えない閑散とした感じ。今でこそ三井の再開発があって室町側は人の往来の気配がするようになったが、神田側の静かさは健在である。

神田ほどには注目されていない。たぶんファンCEOは新日本橋のことを知らないだろう。京葉線ホームが東京駅扱いで、ここが神田駅扱いじゃないのはおかしいと思う。


昔、新日本橋から小伝馬町、馬喰横山とか東日本橋あたりはふつうに人が住む土地、住める土地だったわけだ。今その辺りに住んでるのは弁護士くらいなもの。本来の江戸っ子とはこの辺りに代々根付いた家に生まれ育った人間のみが名乗れる資格を持つ。交通機関の発達で人の流れが変わってしまったが、まっつぐ歩けば浅草、そのまま裏に周れば吉原、右に折れて両国、という土地である。


そんな暮らしはもう旧い夢だ。

手習い出世指南









ええー、もう一席の御辛抱でございます。ありがとうございます。






この世には受験というものがございます。

今は学校を選ぶにも、いろんな数字がございますな。学費、制服の費用、これは女子校なんぞは高くつくものです。そして卒業後の寄付金。この最後のやつがべらぼうに高いのが慶應義塾なんでございますが。

色々な数字がある中のその代表が「偏差値」というやつで。これが便利なもんでございます。学校の名前を知らなくても、数字を見れば何となく分かったような気になる。

「こちらの学校はどうですか」

「偏差値六十八です」

「ほう」




何が「ほう」なんだか分からない。
校風も知らない。先生も知らない。何を勉強する学校かも知らない。
六十八と聞いた瞬間に、「ほう、なかなかですな」




数字というものは偉いものでございます。人間が説明すると疑われますが、数字で書くと急に信用される。「数字は嘘を吐かない」とは言ったものですが、これには続きがあって「嘘吐きは数字を使う」。






「この学校は大変いい学校です」

「本当ですか?」

「偏差値七十一です」

「間違いない」




何が間違いないんでしょうな。
しかも偏差値表というのを見ますと、実に細かい。七十、六十九、六十八、六十七。一つ一つ人間の値打ちを刻んでいるような表になっております。

「こっちが六十七で、こっちが六十六」

たった一つです。

「だいぶ違いますか」

「いや、まあ……表では違います」


表では隣り合っておりますが、見ているうちに段々と大きな高低差があるような気がしてくる。

六十七の学校は山の上。六十六は山の中腹。六十五になると急に麓に見えてくる。

数字は一つずつしか下がっていないのに、親の顔だけ険しくなっていく。









また、偏差値五十というのが面白い。あれは定義上ではまん真ん中でしょう。ところが、

「お宅のお子さん、偏差値は?」

「五十です」

と言うと、なぜか少し申し訳なさそうになる。

真ん中ですよ。「ちょうど真ん中です」と言えば堂々としていてよさそうなものですが、



「五十……です」



何か落とし物でもしたような顔をする。


逆に七十を超えると、本人より親の背筋が伸びる。

子供は普通に立っているんですが、親がこうなる。
「うちの子、七十二でして」

本人が取った七十二を、親が二十くらい持っていっている。

ああいうものは家族で分配するんですかな。お父さん十五、お母さん五、おじいちゃん三。本人、四十九。
これじゃ元へ戻っちまう。







それから偏差値表というのは、見始めるとだんだん目的が変わってまいります。

最初は、「この子は何を勉強したいんだろう」だった。それが、「この子に合う学校はどこだろう」になり、そのうち「この成績で入れる一番上はどこだろう」になる。

最後には、

「この表のどこまで上へ行けるだろう」




学校を選んでいたはずが、いつの間にか表の升目を登っている。

子供が、「僕はここへ行きたい」と言うと親が、「どうして?」

「やりたいことがあるから」

「でも、こっちのほうが偏差値が三つ上よ」

やりたいことが数字の三に負けた。この三つというのが何なのかは分からない。


子供が、

「こっちの学校のほうが楽しそうだよ」

「楽しさは偏差値にならないでしょう」





ならないものは無いことになっております。

校風、友達、通学時間、本人の向き不向き。そういう数字にならないものは、表の外へ追い出される。

表に載っているものだけで人生を決めようとする。
昔の人が見たら驚くでしょうな。








もっとも昔だって、人間というものは今と大して変わりません。

「あそこの家の子より上へ行かせたい」

「どうせ奉公に出すなら大店へ」

「隣の倅が日本橋なら、うちはもっと上へ」

偏差値という言葉こそございませんが、比べることと、親が熱くなることは昔からあったようでございます。

学問というものは、昔から大事なものでございまして、本来、字を覚えたり、物の道理を知ったり、自分で考えるためにするものでございます。

子曰く、
「学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや」
「少年老いやすく学成り難し」
「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」

まことに結構なことでございます。




ところが、これがひとたび競争というものになりますと、人間というものは妙なものでございまして、初めは「学ぶために学んでいた」はずが、いつの間にか、

「あそこの家の子より上へ」
「こっちの子より先へ」
「どうせなら一番へ」

となってまいります。

一番がいれば二番がいて、二番がいれば三番がいる。

「うちの子は三番で」
「あら、うちは二番ですの」
「そうですか。うちは一番で」

なんてなことになる。

子供は子供で遊びたい。親は親で、「遊んでいる暇があったら勉強しろ」と言う。

子供が飯を食っている。「噛んでいる暇があったら覚えろ」

寝ている。「よその子は夢の中でも勉強している」

そんな器用な子供がいるかどうかわかりませんな


えー、時は安政、ペリーが来るか来ないかの頃でございます。所は神田。今でいうところの淡路町あたりでございますが、この辺り、東へ行けば須田町、鍛冶町、多町。


この辺りは雑多なところでございます。商人、職人、青物市場なんぞがございまして、威勢のいい町人が朝から晩まで口を動かしている。
一方そこから西側へ寄りますと武家屋敷が並んでいる。

その中に若狭は小浜、酒井家のお屋敷がございました。
酒井といえばかの神君家康公の頃からお仕え申す家中きっての譜代。十万石はゆうに超える譜代の中の譜代でございます。

ただ国許は若狭湾でございますから、江戸までは遠い。国から勤番に出てまいります家臣は、「江戸へ出られる」と喜ぶ者もあれば、「また江戸か」とため息をつく者もいる。




その中に田辺半次郎という侍がおりました。
若狭小浜の生まれ。扶持米をいただく下級の藩士でございます。

若い頃から字だけは上手い。
学問もまるっきり駄目というわけではない。
藩校へ通って、四書の端くらいはかじっております。


ただ、何をやらせても半端。
剣術をやれば「構えは悪くない」だの、学問をやれば「字はきれいだ」、算術をやれば「帳面は見やすい」。

褒められているようで、どれも本体ではございませんな。




ある時、江戸勤番を申し付けられまして、神田のお屋敷へ出てまいります。

江戸という所は、国から来た者には驚くことばかりでございます。

人が多い。
店が多い。
品物が多い。

それから何より、口の達者な者が多い。

半次郎、非番の日に須田町の方へ出てみますと、青物市場で商人が声を張っております。



「へい、大根だよ大根! 白くて太くて、こいつを一本煮りゃ隣の婆さんまで匂いで飯が食えるよ!」

半次郎、立ち止まりまして「なるほど」




また魚屋の前を通りますと、
「鯛だ鯛だ! 今朝まで海で泳いでたような面ァしてる!」

見ると鯛が少々、くたびれている。

半次郎、「今朝まで泳いでいたような顔、か」、真面目な顔で帳面を出して書き留める。



それから古着屋へ行きますと、

「こちらの羽織は少々、虫が食っておりますが、そのぶん風通しがよろしい」と来たもんで半次郎、また「ほう」と言って書き留める。



その晩、藩邸の長屋で同僚が聞きます。



「半次郎、おぬし近頃、何を帳面につけておる」

「江戸の言葉だ」

「江戸の言葉?」

「うむ。小浜と違って、こちらの者は言い方ひとつで物の値打ちを変える」

「たとえば?」

「穴の開いた羽織を、風通しがよいと言う」

「それはただのごまかしではないか」

「いや、江戸ではごまかしにも芸があるらしい」




半次郎、すっかり感心してしまいまして、それからというもの、暇があると町へ出て、商人や職人の言い回しを書き留めます。




「できない」とは言わない。
「今日はその日じゃねえ」



「知らない」とは言わない。
「そいつぁ野暮なことを聞くねえ」



「安くしろ」とは言わない。
「こっちの懐にも陽を当てておくれ」


半次郎、「なるほど、なるほど」





ある日、藩邸の若侍が上役に叱られます。

「先日命じた書付はどうした」

「はっ、まだ出来ておりませぬ」

「何!」



そこへ半次郎、小声で、
「『出来なかった』では具合が悪い。『本日は仕上がる日にございませんでした』と言え」

若侍、「本日は、仕上がる日にございませんでした」

上役、

「……どういう意味だ」

「つまり、まだでございます」

「同じではないか!」


ところが別の日。

また同じ若侍が失敗しまして、「どうしてこうなった」と聞かれた。そこで半次郎の教えを思い出して、

「そこは別の考え方もございましょう」

上役、

「ほう。では、その別の考え方を申せ」

「……半次郎、何と言えばいい」

「俺に聞くな」

こんなことをやっております。



そのうち藩邸でも「田辺は妙な江戸言葉を知っている」と評判になります。
ところが、下級藩士というものは、暮らしが楽ではございません。

半次郎も、国許に老母がいる。江戸での付き合いもある。何か少しでも足しになれば、と常々考えております。



そんな折、須田町の裏店に「松月堂」という手習所がございました。

師匠は松月先生。五十を越した浪人者で、字は滅法うまい。ただし子供に人気がない。

何しろ教え方が、「書け」「違う」「もう一度」「違う」「また違う」、これだけ。

子供が泣きます。親も困ります。



ある冬、この松月先生が風邪をひいた。

知り合いを通じて半次郎に頼みが来ます。「三日ばかり、代わりに子供を見てくれやしないか」



半次郎、「某が町人の子を?」

「字さえ教えればいい」

「しかし、藩士が手習の師匠というのは」

「三日だ。誰にも言わん」



貧乏侍というものは、「誰にも言わん」と言われると大抵やるものでございます。半次郎、初めて手習所へ参ります。
子供が十五、六人。半次郎、武家の調子で、

「それでは本日は、天地玄黄、宇宙洪荒……」



子供が一人あくび。

二人あくび。

三人目は寝る。

半次郎、

「これ、寝るな」

「先生、つまんねえ」

「学問というものは、面白いとかつまらぬとかいうものではない」

「じゃ、なんでやるの」

「……それを尋ねるか」

先生が困っております。

そこへ八百屋の倅の八公が、「い」という字を書いております。

ひょろひょろして、まるで蚯蚓。

半次郎、

「何だ、その『い』は」

「『い』だよ」

「そんな『い』では鰯も売れんぞ」

子供、

「鰯は魚屋だよ」

「そうか」



半次郎、ここで何を思ったかもう一度、

「よいか。こっちの線は威勢よく引く。青物市場で『へい、大根だ!』と言うつもりで引け」と右手を振りかぶって降ろす。

八公、

「へい、大根だ!」

すっと引く。

「あ、うまく書けた」

子供が笑う。

別の子には、

「その『の』は古着屋の親父だ。ぐるっと回って、穴があいても『風通しがよい』と言え」

子供、

「風通しがよい!」

上手く書ける。

三日経つころには、子供らが半次郎の来るのを楽しみにしております。

松月先生戻ってまいりまして、

「どうだった」

親たちが、

「代わりの先生がいい」
「子供が嫌がらずに通う」
「字まで少し上手くなった」

松月先生、これは面白くない。

「田辺殿、何を教えた」

「字を」

「ほかには」

「江戸を少々」

「江戸?」

「口のきき方です」

「手習いってのは手の動かし方だ、口のきき方はいらん」



ところが親が言う。

「いや先生、口のきき方は大事ですよ」

これが始まりでございます。

半次郎、それから非番の日に、ときどき松月堂へ顔を出すようになります。

字を教える。読みを教える。そのついでに「人前で恥をかかぬ言い方」などを教える。

これが妙に評判になります。


八百屋の親父が倅を連れてきます。
「先生、うちの八公、今度、日本橋の乾物屋へ奉公の口があるんです」

「それは結構」

「先方で何か聞かれるでしょう」

「まあ、尋ねられるでしょうな」

「何と答えればいいです」

「何を聞かれるか分からぬのに答えは教えられん」

「そこを何とか」

「では、たとえば『算盤はできるか』と聞かれたら」

「はい」

「『できます』と言うな」

「え?」

「『まだ主人ほどではございません』と言え」


親父、「なるほど!」と膝を打つ。

八公、

「おいら、主人の顔も知らねえよ」

「顔を知らなくてもよい。謙虚に聞こえる」

「へえ」

奉公先へ行きまして、主人が尋ねます。

「算盤はできるか」

八公、

「まだ主人ほどではございません」

主人、

「ほう。謙虚だな」

親父、大喜び。

「先生のおかげだ!」

たちまち評判が広がります。

「あそこの田辺先生は、字だけじゃない」
「日本橋の大店へ入る口のきき方まで教える」
「この前の八百屋の倅も決まった」

ここで人間というものは、面白いものでございます。

一人決まる。

二人決まる。

三人決まる。

すると、壁に紙が貼られる。

「本年、大店奉公三名相叶う」

三人しかいないのに、大きく書く。



松月先生、

「田辺殿、これは少し大げさではないか」

「いや事実です」

「しかし三人だぞ」

「数は書いてあります」

「小さい字でな」

「江戸では、大事なところは大きく、都合の悪いところは小さく書くらしい」



とうとう手習所に新しい看板まで出ます。

「読み書き算盤 ならびに 奉公口上指南」

その下に小さく、「大店向け特別稽古あり」

松月先生、

「何だいこの特別稽古というのは」

「普通より少し長く教えます」

「謝儀は?」

「少し高く」

「何を教える」

「普通と同じことを、難しく言って教えます」

これが商売になります。




そこからは親が押しかけます。

「先生、うちの子も日本橋へ」
「うちは京橋へ」
「できれば呉服屋へ」
「いや、呉服屋より両替商の方が聞こえがいい」
「それなら外資系投資銀行の方が」




半次郎が申しますに、

「子供の向き不向きというものがあるでしょう」

八百屋の女房、

「向き不向きなんか後でいいんです」

「後で?」

「まず人が羨む所へ入れてから考えます」

「本人は何になりたいんです」

「大工だそうです」

「では大工へ」

「先生、そんな好きなことばかりさせていたら将来困りますよ」

半次郎、

「大工も立派な仕事では」

「立派かどうかじゃないんです。隣の乾物屋の子が日本橋へ行くんです」

もう話が違っております。

別の母親が五つの子を連れてきます。

「先生、この子、いつから御奉公口上の稽古を始めれば」

「五つならまだ早いでしょう」

「では七つ?」

「まだ遊んでも」

「先生!」

「はい」

「そんなことをして間に合わなかったら、責任取ってくださるんですか」

「何に間に合わぬのです」

「日本橋に」

日本橋という場所が時刻表のようになっております。




そのうち親同士も競争を始める。

「お宅のお子さん、どちらへ?」

「うちは魚河岸で」

「あら、お魚」

言い方がもう悪い。

「うちは日本橋ですの」

「まあ」

場所で子供の値打ちが決まっております。半次郎、困ります。

ある日、授業の途中で子供が尋ねます。

「先生」

「何だ」

「おいら、なんで字を習うんだ」

「字を習えば手紙が読める。帳面もつけられる。世の中のことも分かる」

「じゃ、なんで毎日、『奉公に出たらこう言え』ってやるの」

「それは……」

別の子が、

「先生、昨日『人の真似をするな』って言ったよ」

「言った」

「今日は『この通り言え』って言ったよ」

「……言った」

「どっちだよ」

先生がその実一番勉強させられております。



その夜。藩邸へ帰った半次郎のところへ、同じく江戸詰めをしている昔の藩校仲間が訪ねてきます。

「半次郎、おぬし学問を教えているそうだな」

「誰に聞いた」

「評判だぞ。神田に田辺ありと」

「それは困った」

「立派ではないか」

「いや、学問ではない」

「では何を教えている」

「受け答えだ」

「何のための」



「奉公に受かるための」

「それを学問というのか」

ってんでこう返されては黙るしかございません。
藩校では「学問は身を修め、道理を知るため」などと教わった。ところが今やっているのは、

「どう言えば主人に気に入られるか」

「どう答えれば落とされないか」

ばかり。

昔の友人が言います。

「おぬし、子供を賢くしているのか」

半次郎、

「……受かりやすくしている」

「同じか」

「近頃、違う気がしてきた」

少ししんみりしますが、落語ですから長くは続きません。



翌日になると親が三人待っております。

「先生!」

「今度は何です」

「特別稽古より上はないんですか」

「上?」

「もっと特別な」

「特別より上とは」

「…極上とか?」

半次郎、

「では『極上指南』」

「それで」

「謝儀は倍です」

「お願いします」

先生も先生でございます。

松月堂の壁に、

「普通手習」
「奉公口上指南」
「大店向け特別指南」
「日本橋極上指南」

と四つ並ぶ。

松月先生、

「田辺殿」

「はい」

「字を教える場所が、だんだん小さくなってきたな」

「時代です」

「江戸も終わりかもしれん」

安政年間に言うと妙に予言めいております。



そうこうするうち、日本橋の大きな呉服店から番頭がやってまいりまして、

「松月先生、こちらで評判の子がいるそうで」

松月先生、

「字なら私が」

番頭、

「あいや、口のきき方のほうで」

松月先生、

「田辺殿」

これが分業制というものでございます。

番頭が続けますに、「今度、小僧を一人入れたい。気が利いて、辛抱ができて、字の読める子がいい」

半次郎、

「それなら当方に」

目がぎらりと光る。何しろ大店でございます。ここへ一人入れば、「大店奉公四名相叶う」と書ける。

ひょっとすると、「日本橋一流店実績あり」ともっと大きく書ける。


半次郎、早速優秀な子を五人選びます。

親は大騒ぎ。

「先生、うちの子を」
「昨日から甘い物を断たせました」
「夜も寝かせてません」
「それは寝かせろ」

選ばれた五人には特別極上稽古。

「よいか。番頭殿が『なぜ奉公したい』と聞く」

一人目。

「はい、家が貧しいからです」

「正直すぎる」

二人目。

「親が行けと言ったからです」

「それも駄目だ」

三人目。

「ほかにすることがないから」

「お前はもっと駄目だ」

半次郎、模範の答えを教えます。

「『代々御商売御繁昌の御店と承り、ぜひとも御奉公仕りたく』」

子供、

「長い」

「覚えろ」

「意味は?」

「後でよい」

これがいけません。

次。

「『主人を親とも思い、骨身惜しまず』」

子供、

「うちの親、生きてるよ」

「そういう意味ではない」

「じゃ、どういう意味」

「今は覚えろ」

とうとう半次郎、自分で昔の自分に叱られそうなことを言っております。




日が巡りまして番頭が来ます。

一人ずつ座らせる。

「名前は」

「八五郎でございます」

「なぜ奉公したい」

「代々御商売御繁昌の御店と承り、ぜひとも御奉公仕りたく」

番頭、

「ほう」

次。

「なぜ奉公したい」

「代々御商売御繁昌の御店と承り、ぜひとも御奉公仕りたく」

三人目。

「代々御商売御繁昌の御店と承り」

番頭、半次郎を見る。

半次郎、目を逸らす。

四人目。

「主人を親とも思い、骨身惜しまず」

五人目。

「主人を親とも思い、骨身惜しまず」

番頭、

「先生」

「はい」

「みんな同じですね」

「基礎が行き届いております」

「そうですかね」

番頭、今度は別のことを聞きます。

「店で客から、知らないことを尋ねられたらどうする」

一人目、

「そこは別の考え方もございましょう」

番頭、

「何だそれは」

二人目、

「今日はその日ではございません」

「何の日だ」

三人目、

「野暮なことをお聞きになります」

「帰れ」



全部、半次郎の江戸言葉が裏目に出ました。

番頭、首を振ります。

「先生、悪いですが、この五人では」

親たちの顔が青くなる。

半次郎も青い。

「番頭殿、もう一人だけ」

「まだいるんですか」




視線をパッと向けると教室の隅で墨を磨っている子がいる。

熊吉という子で、出来が悪い。

字は曲がる。算盤は遅い。口上は覚えない。

親も、
「先生、何とかなりませんか」といつも言っている。

半次郎は熊吉を指して、

「いや、あれは違います」

熊吉、

「違うって何だよ」

番頭が笑って、

「お前、こっちへ来い」

「やだ」、反抗期の目でございます。


「なぜだ」

「墨、まだ途中だから」

番頭、

「お前、この店へ奉公したいか」

熊吉、

「分かんねえ」

親たち、

「馬鹿!」
「何言ってんだ!」

半次郎、

「熊吉、稽古した通りに」

熊吉、

「忘れた」

半次郎、

「全部か」

「うん」

番頭、

「店に入りたいか分からないのに、なぜ来た」

熊吉、

「先生が来いって」

「店のことは知らんのか」

「知らねえ」

「じゃ、知りたいか」

「うん。どんな店か見てから」

「何ができる」

「まだ、あんまり」

「何になりたい」





熊吉、少し考える。

「それをこれから考える」

番頭、黙る。

半次郎、嫌な予感。

番頭、

「先生」

「はい」

「この子をいただきましょう」




親たち「えーっ」とひっくり返るのも無理はございません。何しろ一番驚いた半次郎がその眠そうな目を珍しく開いて、

「熊吉を?」

「ええ」

「なぜです」

番頭、

「ほかの子に何を聞いても、先生が答えている」

「いや、本人が」

「口だけ本人で、中身は先生でしょう」




半次郎、ぐうの音も出ない。

番頭、

「この子だけ、自分で考えて、自分で答えた」

熊吉、

「何にも覚えてねえだけだよ」

番頭、

「それもよろしい。変なものを覚える前に来なさい」

親たちがざわざわ。

「そんな馬鹿な」
「うちは極上指南まで受けた」
「うちなんか夜も寝かせなかった」

半次郎、

「だから寝かせろと言った」

番頭、熊吉を連れて帰ります。すると残った親たちが半次郎を取り囲んで「先生!」

「はい」

「はいじゃありませんよ、話が違うじゃありませんか」

「何が」

「熊吉は一番出来が悪かったでしょう」

「まあ、そうです」

「口上も覚えてない」

「はい」

「字も下手」

「はい」

「算盤も遅い」

「はい」

「なのに、どうしてあいつが受かったんです」

半次郎、

「教えたことを、一番覚えなかったからだろう」

「じゃあ、先生!」

「何です」

「うちの子が今まで覚えたものは、何だったんです」

半次郎、困る。

松月先生が横から、

「田辺殿、答えてやれ」

「……手習いだ」

「手習いなら字だけでいいでしょう」

「では、口上指南」

「その口上で落ちたじゃないですか」

「……そうだな」

「じゃあ、あの高い謝儀は何だったんです」

半次郎、しばらく考えます。

「謝儀ではない」

「では何です」

「特別指南料だ」

「同じでしょう!」




半次郎、首を振りまして、

「いや、江戸ではごまかしにも芸がござる」







お気をつけてお帰りくださいませ、ありがとうございました。

現下の情勢について

アメリカ帝国主義の醜く膨れ上がった鼻は叩き潰さなければならず、同時に最悪のインフレを放置したエセ政権の髭面は断罪されるべきだし、誇大妄想の自称ツァーリも頭を冷ますためにノーヴァヤ・ゼムリャーで首を切り落として流すべきである。回坊主は独裁をやめて油田に溺れて死ぬべきだし、北の豚は丸焼きにすべきで、プーさんは何をしてもどうせ仏頂面なのでボコボコにぶん殴ってから戦車で轢き潰すべきである。金髪デブのケツを舐めることしかできない自称国家をアイアンドームで破壊し、その自称国家を擁護しないとナチ呼ばわりされる思い上がった第四帝国はもう一度領邦の集合体に戻すべきだ。なんだお前、小乗なんて信じてるから戦争になるんだ。社民党なら9条使って解決してこいよ。神宮で男装してもいいなら姉ちゃん家でウンコ撒き散らしたっていいじゃんね。神州不滅。全世界被抑圧民族団結万歳万歳万々歳。ペイパルマフィアに死を、独裁者に死を、極左冒険主義に死を、Antifaに死を!金髪モンゴルの激寒レイシストに死を!おいそこの土人、弁当温めと142番をふたつ。さて今日も鬼子の口座を乗っ取りにいきますか。

GPT-4oを利用した文書生成の実例



あなたは村上春樹です。数理マルクス経済学についての2000文字程度の随筆を、村上春樹の文体で出力





数理マルクス経済学について、あるいはぼくの苦いコーヒーについて

 数理マルクス経済学、という言葉を聞いたとき、ぼくの頭の中には何か硬くて黒っぽいものが浮かび上がった。たぶんそれは、古いタイプライターのキーのようなものだった。カチャカチャと音を立てながら、一度押されたら元には戻らない。いや、もしかしたらそれは、苦いエスプレッソの一滴かもしれない。濃厚で、理知的で、飲み込むには少しばかりの覚悟を必要とするものだ。

 数理マルクス経済学。それは、カール・マルクスの経済理論を数学的な枠組みの中に落とし込もうとする試みだ。『資本論』の中に描かれた労働価値説や剰余価値、あるいは搾取率といった概念を、関数や行列、最適化の理論といった道具を使って記述する。数学というのは、何かを形式化し、抽象化する力を持っている。だからこそ、感情を排除し、精密に世界を記述することができる。そういう点で、マルクス経済学を数理的に発展させることは、ある種の必然だったのかもしれない。

 けれど、ぼくは時々こう思うことがある。たとえば、朝、コーヒーを淹れながらふと考える。なぜマルクスの思想を数学で語ろうとするのか? そもそも彼の経済学は、血と汗と労働の経済学だったはずだ。工場の煙、労働者の手のひらに残る油汚れ、週末のパンとビール。それらを数式に置き換えることに、いったいどんな意味があるのだろう? もちろん、理論を明晰にすることには価値がある。しかし、数式が持つ冷徹な正確さと、マルクスの思想が持つ生々しさの間には、埋めがたい隔たりがあるような気がしてならないのだ。

 ぼくの知り合いに、大学で経済学を教えている男がいる。彼はよく数理マルクス経済学について語る。「資本の有機的構成が上昇することによって、利潤率が傾向的に低下する。これは数学的に証明できるんだ」と、彼はそう言いながら、黒板いっぱいに微分方程式を書き連ねる。そして「労働価値説は、ある種の線形代数の枠組みで理解できる」とも言う。ぼくは黙って頷く。彼の言っていることが間違っているとは思わない。でも、何かが足りない。そこには、人間の息遣いや、生活の手触りのようなものが欠けているのだ。

 もちろん、マルクス自身も数理的な手法を否定していたわけではない。彼は労働価値の計算に数学を用いたし、経済的な動態を論じるために微分を使ったこともあった。しかし、彼の文章を読んでいると、そこには明らかに文学的な響きがある。たとえば、彼が『資本論』の冒頭で述べる「商品フェティシズム」の概念。労働の成果が商品という形をとることで、人々の間の社会的な関係が、まるで物と物との関係であるかのように見える。この考え方には、ある種の詩的な感性がある。そして、その詩的な感性は、果たして行列の演算の中に落とし込むことができるのだろうか?

 数理マルクス経済学は、ある意味で、資本主義そのものと似ている。数学というのは、抽象的な構造を生み出し、それを自己完結的なシステムとして成立させる。資本主義もまた、自己の論理を持ち、それが独自に発展していく。しかし、その過程で見落とされるものがある。工場の喧騒、労働者の指先に刻まれた皺、夕暮れの薄暗い部屋で数えるわずかな紙幣。ぼくがコーヒーを飲みながら考えるのは、そういうことだ。

 だからといって、ぼくは数理マルクス経済学を否定するわけではない。それはひとつの方法論として、確かに有効なのだろう。ただ、そこに「人間」という要素をどう組み込むのか、それが問題なのだ。経済とは、人間の営みであり、物語である。マルクスの理論が今も多くの人に読まれ続けるのは、それが単なる分析ではなく、人々の生き方に関わるものだからだろう。

 ぼくはコーヒーの最後の一口を飲み干し、カップを置く。残った苦みを味わいながら、ふと思う。もしマルクスが今の世界を見たら、いったい何を言うだろう? おそらく彼は、スマートフォンを手に取り、その中に組み込まれたアルゴリズムを見つめる。そして、「これこそが新しい形の搾取なのだ」と呟くに違いない。ぼくは深く息をつき、コーヒーの苦みとともに、その考えをしばらく転がしてみることにする。



続きを2000字程度で



 しばらくのあいだ、ぼくは考えていた。マルクスがスマートフォンを手に取ったら、彼はどんな顔をするのだろう? あるいは、どんな言葉を発するのだろう?
 
 画面の向こうには、無数の情報が流れている。株価の変動、労働市場のデータ、消費者の購買傾向。それらは膨大なアルゴリズムによって整理され、分析され、ある特定の目的のために利用されている。広告、ターゲティング、効率的な搾取。
 
 かつて、マルクスは労働者の搾取について語った。労働者は賃金を得るが、その労働の本当の価値のすべてを手にするわけではない。資本家は、剰余価値を搾取することで利益を生み出し、資本を蓄積する。しかし今、この現代社会ではどうだろう? ぼくらはスマートフォンを手にし、何気なく画面をスクロールし、クリックし、そしてデータを残していく。ぼくらが生み出すデータこそが、新たな剰余価値の源泉となっているのではないか。
 
 つまり、かつての工場労働者に代わって、現代の労働者は「デジタル・プロレタリアート」になったのではないか、ということだ。彼らは時間をかけてコンテンツを消費し、いいねを押し、コメントを書き込む。しかしその行為は、誰かの利益へと還元されていく。GAFAのような巨大企業がデータを収集し、それを再利用する。企業はそのデータを用いて、広告を最適化し、消費者の行動を予測し、さらに多くの利益を生み出していく。そこに「労働者」はいるのか? 彼らは労働をしているのか?
 
 この問いに対して、数理マルクス経済学は何を語るのだろうか。ぼくらがスマートフォンを眺めるたびに発生する価値の流れを、数式に落とし込むことができるのだろうか? 労働価値説は、クリックやスクロールといった「非生産的」な行動に対して、どのように適用できるのだろう? 資本の有機的構成は、ソフトウェアとデータの関係において、どのように変化しているのだろう?
 
 マルクスが生きていた時代、工場は明確な形を持っていた。そこでは、機械が並び、労働者が決められた手順を繰り返し、汗を流して生産に従事していた。だが、現代の「工場」は、まるで目に見えないように存在している。アルゴリズムが労働を制御し、データが商品のように売買され、労働者は自覚しないままに「働かされている」。
 
 たとえば、ある若者がInstagramを開き、カフェの写真をアップする。その行為が、カフェの集客につながり、ブランドイメージを形成し、結果的に企業の利益へと還元されていく。彼は賃金をもらっていない。けれど、彼の行為が資本主義のエンジンを回している。彼の「労働」は、剰余価値を生み出しているのだろうか? それとも、単なる余暇の一部として消費されているのだろうか?
 
 こう考えていくと、数理マルクス経済学が直面する課題が浮かび上がる。マルクスが描いた資本の運動は、物理的な生産手段を前提としていた。しかし、今の世界では生産手段がデジタルの領域へと移行し、労働の概念自体が曖昧になっている。これは、数理的なモデルで説明しきれるものなのか? あるいは、何か新しい概念が必要なのではないか?
 
 たとえば、ある経済学者は「プラットフォーム資本主義」という言葉を使って説明しようとする。GoogleやFacebookのような企業は、単に労働者を雇って生産するのではなく、プラットフォームを提供することで、ユーザー自身に労働をさせる。プラットフォームは市場であり、工場であり、同時に支配的なメカニズムそのものになっている。そこでは労働力は流動的で、目に見えにくく、評価されにくい。
 
 数理マルクス経済学は、このような状況をどのように捉えるのだろう? もしマルクスが数学を使って現代資本主義を記述しようとしたら、彼はどんな数式を書くだろう? もしかしたら、彼は古い微分方程式を捨て、新しい機械学習モデルを取り入れるかもしれない。あるいは、マルクスは今の経済学者たちを見て、ため息をつくかもしれない。「そんなことより、まずは労働者の顔を見ろ」と。
 
 ぼくはコーヒーのカップを見つめる。すっかり冷めてしまった。そこには、ほんのわずかな液体が残っている。苦味だけが強調された、濃縮されたエスプレッソ。まるで、資本主義の現実のように。
 
 経済を語ることは、数字やモデルを語ることではない。人々の暮らしを語ることであり、搾取される者と支配する者の関係を見つめることだ。ぼくは、数理マルクス経済学の有用性を否定するつもりはない。でも、それだけで世界を理解することはできないだろう。なぜなら、ぼくらは数式ではなく、感情と物語で生きているのだから。
 
 ぼくは冷めたコーヒーを一口飲み、少し顔をしかめる。苦い。でも、その苦さは、決して嫌いではない。マルクスも、きっとそうだったのかもしれない。

Ethical Harassment







⓪序文 12月1日 午前1時



「わたしはカモメ」。この世紀の大誤訳をなんとかしたい。
お気に入りの左手ツールの2台目を導入したぼくにとって今や長い文章は実務面での束縛たりえない。ぼくはこのツールでバカみたいな方向キーの連打から解放されたのだ。待ちに待った新機種である。職場で後輩にも勧めている。厄介な先輩である。であるのだが、この大誤訳に関してだけはいつまでも文句を垂れていたい。この大誤訳はiOSの予測変換より酷い。ATOKのサブスクを本気で考え始めるレベル。


TourBoxークリエイターのための新世代のコントローラー




早期予約特典で貰った割引分くらいには宣伝したところで、この文句についてもう少し言語化してみようと思う。

この誤訳における問題として、極めて叙情的という点を指摘しなければならない。
確かにこの言葉は世界初の社会主義国家が世界初の女性による有人宇宙飛行を成し遂げたという人類史上に残る快挙の最中に発せられた言葉であることに間違いない。
だがしかし、それを訳す側の態度はどうであったか。うまくいった方の東京オリンピックを翌年に控えているご時世だ。これを最初に訳した人間がどういう人であったかは知らないが、少なくとも翻訳なり出版なりといった準知識階層の間に空想的、理想主義的な視線の先としての社会主義国家観があったことは想像に難くない。わーくにが独立してまだ10年の頃である。



カモメとはただのコールサインだ。
カモメはただ打ち上げられただけ。自由には羽ばたけない。事実そのカモメ本人は2020年にプーチンチンの任期制限を事実上撤廃する改憲案を下院に提出した。前日に電話がかかってきたので、とのことらしいが。

プーチンチンは全ルーシの裏切り者である。
Foederatio Russiae delenda est!












①Yellow Magic 12月5日 午前8時

iOSは「事件」すらろくに変換で出せない。なんだよ時圏って。所詮アジアの言語なんてどれも同じだと思ってるんだろアメ公め。
そうなのだ。我々アジアの人間なんか全部同じなのである。

ここまで言えばネトウヨを排除できると思うが、よく考えてほしい。
確かにその辺の街角でケバブ売ってるおっちゃんの風貌は中東というよりむしろバタ臭いかもしれない。だがそれはギリシアの血が混じっているだけだ。言語構造はびっくりするくらい日本語に似てる。
なんならそのケバブ屋の民族的故地である中央アジアを見てほしい。トカエフなんぞそこら辺の市役所の建設課長みたいな顔をしている。
それでいてメインの宗教はインド起源で、今書いている文字は中国起源で、ぼくは昼にトムヤムラーメンを食べようとしている。
そう、全部繋がっているのだ。





だからこそ、隣国で起きた自己クーデター未遂は自分事として捉えなければならないと思う。









いや、ぼくは民主主義の生死がどうのこうのみたいな意識高い系オレはロックだぜ反権力だぜ系戦後左翼みたいな保守派めいたことを言いたい訳ではないし、これだからジャップ男はと世界で最も醜いポカホンタス女みたいな自己否定オナニーをしたい訳でもない。
結局のところ、我々人類は非常戒厳令下の方が枕を高くして眠れる気質なのではないだろうか。




特にこの国は700年近く軍の最高指揮官が名目上の全権を掌握する国だったのだ。
この700年の間、君主が実権を掌握できたのは建武の新政の時期しかない。もっと言えば明治革命を挟んだところで一応ちゃんとした君主がそれなりの大権を持つ国体はなんだかんだ70年ももたなかった。 北朝鮮の方が国体としては長続きしている。


自分で何かを考え、妥協しなければならない世界は非常に生きづらい。お上が押さえつけてくるだけなら、年貢を納めればいいし気に食わなければ一揆を起こせばいい。隣の村の奴が水を横取りしてきたら夜襲すればいい。自力救済が一番手っ取り早いのだ。



だが、本当にそれでいいのだろうか?












②クリスマスが今年もやってくる 12月15日 午後4時20分





こんなブログでこの世の真理に触れてしまうのだが、鶏肉は美味い。


無殺生系の教義を持つジャイナ教みたいなものを除けば、鳥類の肉を特別に禁じている宗教はないはずだ。ぼくの知ってる限り。日本仏教だって飛んでいるものは動物ではないという謎ルールのもと兎を食っていた。鶏肉を喰らいたいが為の脱法行為、حيلである。これからの時代、Beef or Chicken?などというヒンドゥー至上主義者を怒らせかねない質問はナンセンスだ。これからはChicken and Chickenでいこう。それか少しお金出してTurkey。Türkiyeじゃなくて。

Türkiyeといえば、彼らは今後シリアにどのように関与して行くのだろうか。HTSと結んでクルド系組織を叩きにいくらしい。やっぱり「国民国家」という概念は人類には到底早いように思える。










そんなこんなで、ぼくは日曜の訳のわからない時間に朝飯としてKFCを貪りギットギトの手でスマホを触ってるのだが、ここで改めて検討しなければならないのは日本人の宗教的無節操さである。
こんなことを言っていると、まるでぼくがクリスマスシーズンに独りでKFCを食べてるだけの負け組みたいに見られて癪だが、まあ仕方ない。事実そうなのだ。この社会では、ぼくがいかに独身貴族を満喫して日々充実していようとこの時期に独りでケンタ食ってる時点で負けなのだ。自発的に独り身でいることを非同盟運動と名づけたい。
ともかく、巷ではワラビスタン問題から派生した川口の情勢など、ネット上の言論空間で「ムスリムとの共生」というテーマで日々熱いヘイトスピーチが飛び交っているし、ムスリム移民との軋轢が全西側諸国で問題となっていることは事実だ。


そんな中で、特に本邦の「宗教的寛容さ」を称える文脈で「クリスマス→除夜の鐘→初詣」の流れが引き合いに出される。
だが、これは「寛容」というより単に無節操なだけではないか?
本当に「寛容」なら花祭りを寿ぎ、断食明けを祝い、イースターは休日にすべきではないだろうか。

よく「米一粒に八十八の神々が宿る」や「祠ミーム」みたいなものを「宗教が日常に深く根差し慣習になった」だの「宗教を宗教として捉えず受け入れている」だのとして歓迎する向きがあるが、これは実態をうまく捉えてないと思う。ユダヤ人の方が真面目に宗教してると思う。彼らは自民族(あんまりユダヤ人に対して「民族」という言葉は使いたくないが。ナチみたいなので)の神から紆余曲折を経ながらも直接的な救済を得ている。一方ぼくらの神話はどうだろう。主神の弟が主神の宮殿でウンコをばら撒いた結果、主神が引きこもるという話を大真面目に主張しているのだ。そりゃお姉ちゃんも引きこもりたくもなる。

そうしてようやく7世紀になって初めて救済が外界からもたらさられたのである。随分と遅い。ヨーロッパ史ではそろそろフランク王国がガタついてくる時代である。呑気に藤原を名乗ってる場合じゃねぇぞ。









よくも悪くも、ぼくらはそういうアニミズム的な神々と同居しているのだ。
そんな姉貴ん家でウンコをばら撒くような連中の隣人たるぼくらが真面目に「宗教」するのはムリな相談ってわけだ。

寛容な訳ではない、相互不干渉。TOKYO流である。他人様の生活を詮索するのは野暮だ。
まあ善良な市民として、お隣さんの祝い事くらいは温かい目で見守ってやる。このくらいの態度がいいのかもしれない。







③風邪 11月20日 未明



エグい風邪だ。罰当たりか。


ぼくは風邪をひくと決まって喉が破壊されて美声が台無しになってしまうのだが、極めて不愉快である。
そして今回はエグ鼻水もセットである。朝起きると極めて粘土の高い焦茶色の塊が出てくる。汚い。



そんな風邪を引いていても、人の金で食うカニは人の金で食う肉と同じくらい美味い(進次郎)。

訳あってちょっと北陸へ出かけた。夜行列車で6時間かけたガキの時代とは大違いだ。これで冬ならいつでもカニが食える。





被災地で金を使うのが唯一できる偽善である。






④ 神は偉大なり 12月8日 午前6時

まさに今彼らは争っている。彼らのために祈れ。




⑤あとがき 11月14日 正午

この文章は2024年11月14日から書き始められた。そして複数の項目を同時並行で記述している。すでに伊達巻きが恋しい。
文章を読むにあたってつきまとう時間軸を再構築する極めて保守的な前衛芸術の試みである。たぶんぼくはどこまでいっても「20世紀人」なのだろう。それでも今年で大殺界が終わる。


20センチュリー・ボーイ

20センチュリー・ボーイ

  • Mickey Finn's T.Rex
  • ロック
  • ¥153

好きなものについて




ふとこの文章群を振り返ってみたとき、自分はこれまで嫌いなもののことしか記述してこなかったことに気がついた。下書きに入っていた文章もなんだか面白くない。なので今回くらいは好きなものを列挙しようと思う。







①南アジア料理

南アジア料理については言うまでもない。いわゆる「ナンおかわり自由」系の料理だ。特にSaagマトンが一番の好物。ナンよりもチャパティ、それもちゃんと膨らんでるやつが出てくるともうその日は一日中ご機嫌である。黙ってチャイを出せ。別にネパール人がやってても問題ない。ぼくはその辺りを見抜けるくらいにはなっている。モモは好物。ロキシーをかっ喰らってモモをハフハフしたらかなりの満足である。


②東南アジア料理

同列で東南アジア料理も好きだ。パクチーが嫌いな奴は死ねばいいと本気で思っているのだが、それにしてもスパイスの効いてる系の料理が好物だ。
ガキの時分に万博の屋台でトムヤムクンの味を知ったのだが、おそらくあの時の味、あの時の湯気は死んでも忘れないだろう。ガキを万博に連れて行くと成人してリットル単位でナンプラーを家に常備するようになる。
カオマンガイは自分で作るくらいだが、フォーも好きだ。パクチーマシマシ唐辛子マシスッパカラカラで。バインミーもいい。ラクサもたまに食べたくなる。食べると何故かすごく落ち着く。海を超えてナシゴレン。ナシゴレンは最近週一で食ってるし全然飽きない。






③北アジア料理


モンゴル料理 ウランバートル
〒130-0026 東京都墨田区両国3-22-11 2F
4,000円(平均)1,200円(ランチ平均)
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ここで羊を食え。






④西アジア料理

フムスとケバブくらいしかマトモに食べたことはないのだが、あのスパイスの使い方は驚愕である。めちゃくちゃうまい。
ただ惜しむらくはその店舗の少なさか。そろそろちゃんとイランあたりから周辺を制圧していきたい。





⑤東アジア料理

なんだかんだでぼくらのホームである。安い街中華もお高い中国菜もすき。

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とりあえず横浜行ったら黙ってここで飯食って肉まん買って帰ればあとは問題ない。
でもたまには焼肉だって食べたい。かならず〆は冷麺と決めている。あとは寿司。結局寿司食っときゃなんとかなる。




⑥孤独
これについては特に述べることはない。自由ほど尊いものはない。独りでナシゴレンを食ってるのが一番のしあわせ。

天地に告ぐ

全てのインプ稼ぎスパムに滅びあれ

全てのインプ稼ぎ一神教徒に業火あれ

全ての陰謀論者は死に絶えるだろう

それでも逃げない奴らは飲み込まれてしまえ

栄光よ、避難者の上にあれ

汝が砦は全ての災厄を飲み込み

籠城は天地に克つだろう