民主共和国臨時政府執務室

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『エルコスの祈り』について





1周年記念、一応。ほんとは2日前だけど。頑張れ俺。









かれこれ10年程前の話だ。某冷房付き公立小学校に通っていて未だ「2月1日の悪夢」を知らなかった私は、学校行事の一環で劇団四季のミュージカルを観賞した。否、観賞させられた。



何年生だったか覚えていないが、中学受験の勉強も始めていた頃だったと思う。立地のせいもあろう、周りはバカしかいなかった。いや、クソバカしかいなかった。テストの点数で私に勝てるのは、恐らく友人のS君だけだっただろう。彼は「天才」だったが、常に彼と張り合い時には上回る事もあった。私たちは仲が良かった。

ともかく、周囲はバカだったのだ。当時は。



当然、教師陣からは嫌われる。教師といっても公立なので所詮は公務員、変わり者の珍種など鼻をつまんでしまう。当時の担任は非常に優しく温厚な事で知られていたが、卒業に近づくにつれ明らかに敵対関係へとなっていった。人生で一番グレてた。 それほどじゃないけど。





そんな時期に劇団四季である。



クソガキだったので、当日は小雨にも関わらず妙にテンションが高かった。クソバカに合わせた勉強をせずにいられたのだから、と今は思う。



当日の事で覚えているのは、その天気、妙に女子にハイテンションで話しかけ怪訝な目をされた事、劇のラストシーン、そして出口で見送る俳優さんたちの姿だけである。他は何一つ覚えていない。






あらすじだとか考察だとかは他所を当たってほしい。ここでは自白のみである。









ラストシーン、実は少し感動して泣いてた。


あれだけ小馬鹿にして見下していた公立小学校の学校行事で自分が涙するなど、あり得ないしそうあるべきでもなかった。ただ、そこは天下の劇団四季。初めて本格的なミュージカルを全身に浴びた私は、ラストシーンでなんと感極まったのである。左手の感情線が中指の下にも届いていないのにも関わらず。





クソガキの私にもプライドはある。あの涙は「ラストシーンの舞台装置の仕掛けが分かって感動した」のだ。自分にも、担任の先生にも、クラスメイトにも、両親にもそう言い聞かせた。自分の感想とは4文字しか合ってない。小泉純一郎内閣総理大臣か。








ただ、ここで書くのは「正直に気持ちを言うべきだった」とかいう敗北主義ではない。我々革命軍は常に勝利を目指すのだ。


「正直に生きる」とか「素直になる」とか「みんなのために生きる」のが出来るようになれば、それは劇団四季が、ひいては教育委員会が育てたかった人間になれるのであろう。



だが、人間社会ってそういうものだろうか。






機械でできた「エルコス」は機械に囲まれて育ち機械を憎む「ジョン」を更生させようとする。そりゃ「ジョン」を焚きつける大人も悪い。しかしだ。


「ジョン」にだって機械を憎み続ける権利はあった筈だ。



今となっては色々思うところがある。やはり当時の自分とは何も変わっていないのだ。ストーリーには感動したが、だからといって自分の生き方まで否定する訳じゃない。どう考えたって、どう生きたって人の勝手じゃねぇか。教育委員会ごときに負けてたまるか。




だからあの涙は「仕掛けが分かって感動した」んだ。そうなんだ。




もう一度自分にも言い聞かせてる。少なくとも今のところは。

酒が飲める私は、そう思いながら体制に反抗していくのであった。いや、別に左翼って訳じゃないけど。



P.S. とりあえず本は読んでる。次あたりまた読書感想文書きたい。