民主共和国臨時政府執務室

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ジッド『ソヴィエト旅行記』 訳:國分俊宏






ソヴィエト旅行記 | 光文社古典新訳文庫


久々の、本当に久々の頑張って書く書評である。なお、この記事には天地開闢以来最長の前置きが書かれている。Hirohitoのように「堪ヘ難キヲ堪ヘ」てほしい。ぼくはここ最近無性にむしゃくしゃしている。このブログはぼくの精神のサンドバッグでありパンチングマシンである。








2021年度所信表明演説 - 民主共和国臨時政府執務室
この二つ前の記事の最後の方で、ぼくはこう書いた。

こういうことを書くと非常にマルなんちゃら主義とか共なんちゃら党みたいな左側から勝手に☭連帯☭されそうだがそういうことを言いたいわけではない。ぼくからするとむしろそっちとの方が馬が合わないのだが、それを書くにはこのブログの余白は小さすぎる(難問を残しながら)。いつか書くさ。










「革命」。なんとも甘美な響きである。
易姓革命ブルジョワ革命、文化大革命、農業革命、保守革命産業革命フランス革命辛亥革命青年トルコ人革命イラン革命、東欧革命、清教徒革命、共産主義革命、そしてロシア革命
ざっと思いついたものを列挙。そろそろゲシュタルト崩壊した頃だろう。





言わずもがな、ソ連は人類史上初の「社会主義革命により『誕生』した国家」である。であるとされるが、本質はちょっと違う気がする。そもそも革命とは言うが、皇帝の退位あたりからフィンランドだのウクライナだのトルキスタンだの、はたまた太平洋沿岸におったてようとした「緑ウクライナ」とかいうもう完全に字面と現象との関係がわからない勢力だの、もうそれはそれは混沌も混沌のごった煮。そこから百何十個かの勢力が参加したバトルロワイヤルと列強各国の「干渉軍」による袋叩きを経て、最後に残ったのが赤軍つまりボリシェヴィキだった、というおはなしである。やっぱトロツキーしか勝たんですわ。

んで、結局その赤軍が「帝国」のほぼ全土を制圧してなんやかんやあってできたのが「ソヴィエト社会主義共和国連邦(Союз Советский Социалистических Республик)」ってわけ。ほんとは「同盟(Союз)」であって「連邦(Федерация)」ではないんだけど。ともかくなんかクソデカい国家をつくった。いや、国ができあがった。ロシアを中心にして、である。





「自由な共和国の揺るぎ無い結合」より「偉大なルーシが永遠に結びつけた」の方に重点が置かれているのである。わざわざご丁寧に「偉大な」って言葉まで添えて。公式に民族問題は存在しない、垣根はないと言っておきながらネネツやらタジクやらチェチェンやらブリヤートやら…なんだっけ?トゥヴァやらにルーシを称えさせているのである。国歌の冒頭で。
仕方がなかった。圧倒的にスラヴ系のロシア人が多いのである。「ロシア」って聞いて真っ先にチュクチとかカルムイクとかサハとかを思い浮かべる奴はハッキリ申し上げてバカだ。頭のいいクソバカだ。仲良くなれそう。今でもロシア人の8割弱は「ロシア人(Русский)」だ。「ロシア国民(Россияне)」とは全く別の概念である。








ともあれ。

「革命」によってできた国とはいえ、それだけでそう簡単に文化や風俗ががらっと変わるわけではない。ざんぎり頭を叩きながら寿司食って落語聞いて吉原で遊んでた連中ならよーくわかるはずだ。「下部構造」が変わらなければ「上部構造」をいくらすげ替えたところで変化しない、というのは「教条主義者(内ゲバ用語)」ならご納得いただけるだろう。「帝国臣民」という肩書きが「革命」によって「連邦市民」に変わっただけだ。歴史は決して断絶しないのである。






ロシア革命はロシアで起きたということ。帝国時代から続く文脈で語るべきだった。
反政府勢力はシベリア送り。粛清、暗殺は朝飯前。南下政策、黒海艦隊。兵士は畑から生えてくる。言論統制。独裁権力。農奴。そういう国、というか地域である。ツァーリにとって結局そうした方が手っ取り早かったのだ。










本題。長かったねぇ。

不学でまったく教養がないもんで著者がどれだけすごい文学者なのかはさっぱりなのだが(ノーベル文学賞を取ったらしい、ということしか知らない。それもこの本を読んで初めて知った)、著者はバカ正直である。「人類皆平等!」という信念だけで共産主義に傾き、「共産主義が実現したらしい!」という噂を聞きつけロシアへ乗り込み、「スターリン体制やべぇ!」ということをバカ正直にこの本に著し左翼からボッコボコに叩かれた。
彼は見たのである。スターリン体制を。シベリア送りと粛清で「共産主義」を実現しようとする「ロシア」を見た。労働者の「楽園」に漂う何とも形容しがたい不気味さ。誰が見ているかわからない。誰も信用してはいけない。「私たち皆のために」誰かが消えていく。芸術家は「私たち皆がよろこぶモノ」を作りなさい。「私たち」の国はこんなにも素晴らしい国です。「私たち」はこの農場でこんなに素晴らしい成果を挙げました。「私たち」の敵を見つけ出せ。「私たち」、「私たち」。






「本来の共産主義はこのような全体主義ではない!反帝反スタ!」と日々叫んでおられる皆様方におかれましてはさぞかしお怒りのことと存じますが、結局こうした方が手っ取り早いのである。「農業集団化」というアイデア農奴というロシア的現実と「生産手段の社会化」という教条の止揚だろう。本に書いてあること(=イデオロギー)を守る、守らせるためには「守らない奴」をつるし上げ、「守らないということ」を考えなくさせるようにするのが一番簡単なのだ。
髪を染めてはいけない。廊下を走ってはいけない。部活動に所属しなければいけない。登下校の途中に寄り道してはいけない。こういうことを守れない奴を竹刀でボコボコにすることが学校であり、炭鉱に送ることが共産主義であり、シベリアに送ることがソヴィエト・ロシアである。





「ロシア」という土地は、「共産主義」の実験場たりうる条件が余りに整い過ぎていたのだと思う。
執筆当時はまさに実験途中、こんなことを言おうものならそれこそ左翼からボッコボコに殴られてしまうだろう。「あの国家はまさに共産主義が実現している」と信じていたから。信じたかったから。終わったからこういうことが言えるのだ。ちなみにソ連「法的に」消滅したことが議会で確認されているので「加盟国がなくなっただけでまだ存在する!」と主張している共産趣味者の同志諸君は、強く生きようね!












文章としては簡潔にまとまったルポルタージュであり、あたかも自分が本当に戦間期ソヴィエトに入ったかのような感じがして面白かった。こういう世界が実際にあったこと、それも今自分が住んでいるところからそう遠くない地点に存在していたこと、それがつい最近まで存在したこと、同じような体制の国家がもっと近くに今この瞬間も存在していることを強く再認識させられた。これ以上の感想は特にない。だがいろいろなことを考えた。




何も本を読んでその文章自体の感想のみを語るのが書評、読書感想文ではないと思っているからぼくはこれでよしとする。自分に甘く、他人にも甘く。おわり。