民主共和国臨時政府執務室

Willkommen im Büro der Provisorischen Regierung der Demokratische Republik!

a present

プライベートで人生の区切りがついたタイミングなので、現段階で自分の脳みそに浮遊していることがらを文章として書き出しておく。







Amazing Grace









ぼくはアメイジング・グレイスという曲が「嫌いではない」。メディアの効果で割と世間にも知られた曲であるし、短いので旋律も覚えやすい。とある北方の湖畔で少年の時分に買った、赤い屋根の家の形をしたオルゴールもこの曲を奏でてくれる。この湖畔に労働者として舞い戻ることになるとは当時想像もしていなかった。そんな少年時代のぼくもその曲が「嫌いではなかった」。このオルゴールは娘ができたら嫁入りの時にでも持たせてやりたい。





「嫌いではない」のには理由がある。この曲はぼくにとって、無意識下において強烈に死と結びついているからである。死が好きなのは他に好きなものもない自殺志願者くらいのもので、ぼくには一応この記事を書こうとするくらいの希望はある。つまり、ぼくはこの曲を好きとは言わないわけだ。






問題は「なぜこの曲が『死』の概念と関連付けられているのか」ということだった。



本田美奈子.である。彼女の作品中最も鮮烈な印象を残したものが、この曲の独唱だった。死の数ヶ月前に病院で録音された音源を、公共広告機構骨髄バンクへの登録呼びかけに使ったのである。どんな番組で流していたかまでは記憶していないが、当時アイドルの存在も理解せずウビャウビャと喚き散らかしていたぼくでもCMの存在を無意識のうちに記憶していたということは、放送されていたのは深夜帯や昼間ではないはず。相対的に多くの受信者に音楽が届けられたといっていい。
そしてそのひょろひょろとした女声の独唱と真っ黒な背景の映像は、「生」を享受する少年のぼくに強烈なを意識させることに成功したのである。






もっとも、この歌は奴隷船の乗組員が嵐に巻き込まれ回心したとかなんとか、という歌である。当時は当然そんなことは知らなかったが、それにしても神ってのは都合のいい奴である。





そんなこんなで、その歌に結びついた「死」の観念と公共広告機構の不気味さというイメージを数年間漠然と抱えながら、ぼくは津波に飲み込まれる仙台平野をテレビ中継で眺めていた。





②フクシマの人々の物語





この文章を頭から全て読んでいる人か、あるいはこのブログの記事全てを精読している後世の研究者くらいしか気づいてないだろうが、ぼくは「北方の」という言葉をよく使う。この際言ってしまうが、ぼくは東北人だ。「東北という名称は畿内中心の視点に由来するものだから記紀時代以前の『日高見』に改名すべきだ」という一種の町おこし的な思想には同感であるが、変換で何度やっても出なくてクソ面倒なので東北人というアイデンティティには誇りを感じている。そして奇遇なことに学生から労働者に至るまでの数年間を東北地方で過ごすことができた。東京モンとして僻みという名の差別を受けつつ、東北の一員としての人生をある程度は謳歌していたと言ってよいだろう。




上述した「北方の湖」とは猪苗代湖である。東北にはデカめの湖がちょくちょくあるしどれも風光明媚ではあるが、なんと言っても猪苗代湖が一番である。なにしろ単純接触効果がある。









ぼくはフクシマの人間と会話をして賃金をもらっていたことがある。そう、あのフクシマだ。

忘れもしない震災の瞬間、ぼくはまだガキンチョだった。「こんなご時世にフクシマに行く人なんかいないよね」などという危険な発想でもって我が一家は会津への旅を「敢行」した。実際に観光客の姿はほとんどなく、猪苗代湖畔もすっからかんだった。他に人がいなかったのでゆっくりオルゴールを吟味できたのだ。


そこから10年以上経った。当時生まれた子も中学受験で塾通いを始める年頃だ。未だに現地で見る夕方6時のニュース番組のヘッドラインは、避難指示の解除を巡る説明会の報道である。津波で被災した村に新しくできた郵便局の話題である。常磐線の駅からの中継である。










フクシマにおいて、震災は人類史としての扱いをされていない。またはこう表現できるだろう。震災はあまりに動物的「生活」である。
未曾有の原子力災害が生み出した避難指示と山本太郎の広めた風評被害+86からのイタ電は、フクシマでは未だ消化しきれていない。








福島県連邦国家だ。猪苗代を含めた会津はそもそも震災の「直接的」被害とはほぼ関連ない。問題は中通り浜通りである。穏やかさ、裏を返せば徹底した無気力さというものもあるのかもしれない。あまりにも生活的であるので、もはや意識するのをやめてしまっているのかもしれない。諦めているのだ。東京に一番近く労働力や資源の供給源として搾取され、「東北の2番手」を自負する割に速達列車は停まらず、挙句には年1でデカい地震か台風か、あるいはその両方がやってくる。





彼らは、今を生きていく。今しか生きる場所がないのだから。そうやって、今日もパチンコ屋に繰り出す。








ぼくは演説のためフクシマに立つ山本太郎を1メートルくらいの至近距離で見たことがある。オーラをなにひとつ感じなかった。だが政治に携わる人間とは本来オーラを出していてはいけないのかもしれない。そう思い、銃撃するのはやめておいた。







③あゝ、マジで無情







今日も今日とて世界最速の水平エレベーターは元気に浜名湖を駆け抜ける。






新幹線というものは便利だ。バルカン半島だったら別の国になりそうなくらい文化の違う都市圏を、一眠りする暇もない間で行き来できる。そんなものができてもう60年だ。これに関してだけは戦前のこの国に感謝したい。大陸進出のためとはいえよくもこれほどの計画を考えたものだ。










ここまで民族主義的なことを書きすぎたので中和しよう。ぼくはこの国の人口は多すぎると思っている。面積も経済規模もほぼ同じ現代ドイツは人口8,300万くらいである。ドン引きするくらいのネオナチが湧いてくるくらい移民国家であるにも関わらず。
元来ドイツは農業国だ。いくら20世紀中にでほぼ半分くらいにしぼんだとはいえ、圧倒的に農業国である。当然ながら耕作面積は日本の方が圧倒的に小さい。なんてったって、そもそも彼らはもともと黒パンとソーセージとザワークラウトがあれば戦えるのだ。19世紀ごろのライ麦の生産性はヨーロッパ随一だ。そんな農業国ドイツで8,300万を養うのがギリギリである。というかほぼ無理。そんなこんなでウクライナに大量のレオパルドを送りつけているのである。

何が言いたいかといえば、ぼくは東京一極集中も別に悪くないと思っている。幸いこの列島は新幹線含め無駄じゃねぇかってくらいインフラが発達している。人口が希薄になってしまった遠隔地で大規模に農業生産をしても、十分にペイできると思う。そうやって農村でコミューン的自治を行えば完璧である。都市の空気は自由にする。





そんなこんなでこの列島のインフラの中核を為している新幹線だが、これがあるのとないのでは心理的効果が段違いである。地続きで高速列車が東京に繋がっていること。数分ごとに列車がくること。数時間座ってれば東京に着くこと。同一の地平にあるという意識は東京への猛烈なバキュームとなる。地方間を移動するなら東京を経由してそれぞれの方向に移動しても時間がほぼ変わらないとなると、物価やら何やらを考慮してでも東京に住みたくなってくる。よくネットの自称御意見番が「東京に住むのは負け組!」と積極的に発信するのは、裏返しとして東京に住みたがる人間が多いことを示唆しているのだ。

そしてその効果は60年前に始まってからとどまるところを知らない。














新卒で入った会社の配属発表。新幹線のない都市に飛ばされた女はことごとく泣いていた。そんな中の1人は在来線特急という東京に帰る術を見つけ、毎週の様に東京に帰っては高そうな鮨と自撮りをインスタに載せている。彼女はトップセールスになった。

顔面採用の横行するルッキズム的業界だ。同期の女子たちはそれなりに華がある。男子校出のぼくが恥ずかしくなるくらいに。そうやって同じ会社内で結婚させ、できた子供を労働力として再生産するというのがこの業界のやり口である。反吐が出る。




ともあれ。そんな鮨と自撮りを見せつけられ、ぼくは非常に惨めである。同い年はたんまり出たボーナスで鮨食ってんのになんでオイラは19世紀ドイツの農業生産性なんかを論じているんだ。

結局、ぼくもそのルッキズム的世界観から抜け出すことができないでいる。反吐が出るとか言っておいて、インスタを開いてしまうのである。ここでスパッとSNSを辞められていたらそもそもこんなブログなど書かないのだ。


そうやって自分の無様さと醜さをスマホの反射に見る。お前は誰だ?





先日その女が夢に出てきた。死んだんで夢枕に立ったのかと思ったら違った。インスタの見過ぎだった。さて、品川を出た。












小田嶋隆『東京四次元紀行』



書籍詳細 - 東京四次元紀行|イースト・プレス











仕事終わりに職場の同期くんと酒を飲む約束をした。彼は仕事の終わりが長引いている。いつもなら先に店に入って飲んでいるのだが、それにしても終わりが遅い。面倒な客を掘り起こしたのか、はたまた事務方とトラブルを起こしたか。ぼくとは違い、彼は頑張っている。あまりにも暇なので、駅ナカの本屋に立ち寄る。所詮駅ナカなので大した品揃えではない。中高生向けのラノベかマンガばかりだろう。ぼくだって昔はそうだった。

暇なので、彼から電車に乗ったとのLINEが来るまで店内をぶらぶらすることにした。すると文芸コーナーに、どこか別の本屋で見かけた背表紙が置いてある。ふつう、書店に置いてある本の背表紙を覚えていることはまずない。それでも、タイトルの意味がイマイチ不明瞭で気になって手に取ったのを覚えていた。そのときはなにか他の哲学書かを買ったので棚に戻したはずだ。こんな駅ナカで再開するとは。これもなにかの縁かもしれない。







収録の短編群は、まるで夢を見ているような空気だった。それも起きたら忘れてしまう類の。確かに「四次元」的だ。
だが、筆者にとってもこれは夢だ。モチーフとなった出来事はあののっぺりとしたガラスとコンクリ製の都市のどこかの地平上に、確かに存在したのだと思う。しかしそれはあくまで夢のような記憶。ひとつひとつの物語は複数のモチーフが一緒になったものかもしれないし、筆者の創造かもしれない。こんな類のことを書き遺して筆者は亡くなった。これを読んで初めて知った。

この夢に出てきた人々も、ぼくと同じ東京を見ているのかもしれない。久々に降り立った東京は巨大な映画セットに見えた。









この本を買った日に彼と何軒目まで行ったか、そもそもその日に彼と一緒に飲んだかも覚えていない。記憶は大脳皮質の中の無限遠のどこかに張り付いてしまった。今や全ての夢がぼくから同じ距離、等しく無限遠の彼方にある。音楽の旋律も、雪が降る猪苗代湖の風景も、これまで接してきた人々の顔も。もう答え合わせはできなくてもいいと思った。